生活手段 (職業)

生活手段 (職業)



 一九八一年七月に神戸大学闘争の刑事公判の最終意見陳述において、私は、七項目の一つとして、〈職業について〉を設けて論じている。(五月三日の会通信・第25号参照) 論じる契機になったのは、私に関する四枚の起訴伏(公訴事実は七個)において検察官が、私の職業を国家公務員、著述業、無職…というように一方的に、かつ変化して規定していることを批判したからで、裁判官が判決において職業を、どのように規定するか注目する、とのべた。このため裁判官は大いに苦慮したようであるが、同年十月の一審判決では、「職業不詳」という判断停止の記載をおこない、十年以上の審理によっても事件や被告人の問題の本質を把握しえていないことの象徴例を開示した。

 一九八五年九月の二審判決では、前記の最終意見陳述や二審での〈仮装労働〉論(要約すると、職業概念のみならず、ジャンルや制度の根拠に対する〈大学闘争〉の問いを深めるために定職につかず、かつ名前や年令や前歴を明らかにすると雇用されない現状を突破するために、数人のグループで任意の仕事を引き受けた場合の交換可能な構成員として参加することがある。全ての職業についている人、とくに〈公務員〉は、この提起に応え、媒介となりうる度合でのみ辛うじて職場に存在する理由をもつ。)を、かれらなりに解釈して、「著述および各種アルバイト」とした。

 三審の最高裁では、判決を出すこと自体を怖れ(批評業・α続編の序文参照)、一九八九年三月に上告棄却の決定を出したが、私の肩書は「被告人」であり、〈職業〉として最高裁が記したのではないとしても、これまでのべてきた職業規定の変化の軌跡の中で把握すれば、重要な示唆を引き出すことができる。

 職業ではなく、被告人や前科者のように法的に強いられた状態および、病人や老人や死者のように存在的に強いられていく状態によってこそ人間の特定を、あらゆる可能性を発見する視点からなしうるのであり、現時点の仮装を強いる自己~世界の構造を意志的~生涯的に追求する仕方で総体的な関係の中での役割や立場が普遍的に開示されるのではないのか。社会的に必要な労働の分担において、機能に応じた名称を残すとしても、分担は全構成員の討論によって決定し、短期間で交代する仕組を確立しておけば、職業概念は消滅するであろう。消滅の契機として全員が必ず一度やっておく役割が〈公務員〉であり、勿論、国家の解体~消滅プランの中で構想し実現していかなければならない。

 題名の〈生活手段(職業)〉から、かなり逸脱してしまったが、提起したい内容は同じである。法的にか存在的にか〈 〉的にか強いられた生活様式~状態を基本として、この段階の共有と、そこからの解放の試み自体を生活手段として生きること、この試みを許容しない力や制度と持続的にたたかうこと、このたたかいに参加する人やテーマを拡大していくこと、これ以外の職業(生活手段)には、前記の共闘者と仮装的に交代しうる場合の他は、たとえ一時的にせよ私はつきたくない。

註1.二つ前の項目〈表現手段(過程)〉の次に〈生活手段(職業)〉を予定しながら、気分がのらなかったのは何故だろうか。一つの理由は、〈表現手段(過程)〉の記述の中に、いくつかの位相の〈清掃〉を〈生活手段(職業)〉として展開しており、包括もしているから、あらためて次の項目で論じていく契機を見出しにくいという手触りがあり、もう一つの理由として、表現手段の次に生活手段を論じてしまうことに関して、他の全テーマとの距離感を把握しかねている度合で安易ではないかとためらいを惑じていた。しかし、前項を越えて、それぞれの理由も突破してきている。

 2.仮装的な納税申告では、「時・空間を固定しない〈 〉焼き業(著述を含む)」としており、税務署の調査に対しては、概念集・1の〈 〉焼きの項目を応用していく予定である。七月に二回、法廷で証言する機会があり、証言に先立つ人定質問に対して、本来ならば、このテーマだけで全証言時間を必要とするが、今は力点をそこに置かない方がよい、と考えたために、一つの法廷では〈無職〉、もう一つの法廷では〈著述を含む各種アルバイト〉とのべるにとどめた。証言の中では、自分の本質的〈被告人〉性を強調しているが、それぞれ前記の一、ニ、三審の裁判所による私の職業規定に無意識的に対応させている。この項目を作成することで、対応を意識的に止揚しつつあるので、この項目を二つの法廷の証言記録への補充として提出したい。

 3.〈公務員〉という職業について、私の体験をこめてのべると、最も〈偽証〉を強いられる職種である。特に権力的公務にたずさわる場合にそうである。(〈瞬間〉の項目参照)非権力的公務にたずさわる場合も、公務とみなしている行為の形式的な執行にのみ関心が集中し、自らの行為がもたらしうる公務の範囲外への影響に開しては判断を停止し、存在的偽証の斜面をなだれ落ちていくことが生じやすい。(六月の法廷で、大学内の自主管理空間への明渡強制執行と物品留置をおこなった執行官に対する尋問をした時、かれは物品の一方的な全部同時返還もしくは売却ないし破棄を主張したので、私から、自らの行為がもつ全状況への影響について判断を停止する水準での公務への固執は、六月四日の北京・天安門広場の兵士~幹部の行動様式につながる、と批判したところ、裁判官は尋問を制止し、速記録から一方的に削除した。これに対して、この項目を添付して異議を申し立てつつある。)なお、人間が出会う〈罪〉の系列の中で最後まで残るものの一つは〈公務執行妨害罪〉であろう。前記の例を含めて公務員性の倒錯を転倒していくためには、本文でのべた方向が不可欠であり、それは全ての職業による社会~人間の疎外の止揚の突破ロになるはずである。


参考→ 「生活手段 (職業)」について(野原)
生活手段 (職業)

生活手段 (職業)



 一九八一年七月に神戸大学闘争の刑事公判の最終意見陳述において、私は、七項目の一つとして、〈職業について〉を設けて論じている。(五月三日の会通信・第25号参照) 論じる契機になったのは、私に関する四枚の起訴伏(公訴事実は七個)において検察官が、私の職業を国家公務員、著述業、無職…というように一方的に、かつ変化して規定していることを批判したからで、裁判官が判決において職業を、どのように規定するか注目する、とのべた。このため裁判官は大いに苦慮したようであるが、同年十月の一審判決では、「職業不詳」という判断停止の記載をおこない、十年以上の審理によっても事件や被告人の問題の本質を把握しえていないことの象徴例を開示した。

 一九八五年九月の二審判決では、前記の最終意見陳述や二審での〈仮装労働〉論(要約すると、職業概念のみならず、ジャンルや制度の根拠に対する〈大学闘争〉の問いを深めるために定職につかず、かつ名前や年令や前歴を明らかにすると雇用されない現状を突破するために、数人のグループで任意の仕事を引き受けた場合の交換可能な構成員として参加することがある。全ての職業についている人、とくに〈公務員〉は、この提起に応え、媒介となりうる度合でのみ辛うじて職場に存在する理由をもつ。)を、かれらなりに解釈して、「著述および各種アルバイト」とした。

 三審の最高裁では、判決を出すこと自体を怖れ(批評業・α続編の序文参照)、一九八九年三月に上告棄却の決定を出したが、私の肩書は「被告人」であり、〈職業〉として最高裁が記したのではないとしても、これまでのべてきた職業規定の変化の軌跡の中で把握すれば、重要な示唆を引き出すことができる。

 職業ではなく、被告人や前科者のように法的に強いられた状態および、病人や老人や死者のように存在的に強いられていく状態によってこそ人間の特定を、あらゆる可能性を発見する視点からなしうるのであり、現時点の仮装を強いる自己~世界の構造を意志的~生涯的に追求する仕方で総体的な関係の中での役割や立場が普遍的に開示されるのではないのか。社会的に必要な労働の分担において、機能に応じた名称を残すとしても、分担は全構成員の討論によって決定し、短期間で交代する仕組を確立しておけば、職業概念は消滅するであろう。消滅の契機として全員が必ず一度やっておく役割が〈公務員〉であり、勿論、国家の解体~消滅プランの中で構想し実現していかなければならない。

 題名の〈生活手段(職業)〉から、かなり逸脱してしまったが、提起したい内容は同じである。法的にか存在的にか〈 〉的にか強いられた生活様式~状態を基本として、この段階の共有と、そこからの解放の試み自体を生活手段として生きること、この試みを許容しない力や制度と持続的にたたかうこと、このたたかいに参加する人やテーマを拡大していくこと、これ以外の職業(生活手段)には、前記の共闘者と仮装的に交代しうる場合の他は、たとえ一時的にせよ私はつきたくない。

註1.二つ前の項目〈表現手段(過程)〉の次に〈生活手段(職業)〉を予定しながら、気分がのらなかったのは何故だろうか。一つの理由は、〈表現手段(過程)〉の記述の中に、いくつかの位相の〈清掃〉を〈生活手段(職業)〉として展開しており、包括もしているから、あらためて次の項目で論じていく契機を見出しにくいという手触りがあり、もう一つの理由として、表現手段の次に生活手段を論じてしまうことに関して、他の全テーマとの距離感を把握しかねている度合で安易ではないかとためらいを惑じていた。しかし、前項を越えて、それぞれの理由も突破してきている。

 2.仮装的な納税申告では、「時・空間を固定しない〈 〉焼き業(著述を含む)」としており、税務署の調査に対しては、概念集・1の〈 〉焼きの項目を応用していく予定である。七月に二回、法廷で証言する機会があり、証言に先立つ人定質問に対して、本来ならば、このテーマだけで全証言時間を必要とするが、今は力点をそこに置かない方がよい、と考えたために、一つの法廷では〈無職〉、もう一つの法廷では〈著述を含む各種アルバイト〉とのべるにとどめた。証言の中では、自分の本質的〈被告人〉性を強調しているが、それぞれ前記の一、ニ、三審の裁判所による私の職業規定に無意識的に対応させている。この項目を作成することで、対応を意識的に止揚しつつあるので、この項目を二つの法廷の証言記録への補充として提出したい。

 3.〈公務員〉という職業について、私の体験をこめてのべると、最も〈偽証〉を強いられる職種である。特に権力的公務にたずさわる場合にそうである。(〈瞬間〉の項目参照)非権力的公務にたずさわる場合も、公務とみなしている行為の形式的な執行にのみ関心が集中し、自らの行為がもたらしうる公務の範囲外への影響に開しては判断を停止し、存在的偽証の斜面をなだれ落ちていくことが生じやすい。(六月の法廷で、大学内の自主管理空間への明渡強制執行と物品留置をおこなった執行官に対する尋問をした時、かれは物品の一方的な全部同時返還もしくは売却ないし破棄を主張したので、私から、自らの行為がもつ全状況への影響について判断を停止する水準での公務への固執は、六月四日の北京・天安門広場の兵士~幹部の行動様式につながる、と批判したところ、裁判官は尋問を制止し、速記録から一方的に削除した。これに対して、この項目を添付して異議を申し立てつつある。)なお、人間が出会う〈罪〉の系列の中で最後まで残るものの一つは〈公務執行妨害罪〉であろう。前記の例を含めて公務員性の倒錯を転倒していくためには、本文でのべた方向が不可欠であり、それは全ての職業による社会~人間の疎外の止揚の突破ロになるはずである。