参加

参加



 一般に知られている水準とは異質な方向から、この概念をテーマにしてみる。身柄が獄中にある場合に、最も早く、かつ無条件に差し入れが許可される本は、六法である。 身体的な解放のために、という切迫からだけでなく、他に続むものか殆どないためもあって、私は、獄中では小型の六法を熱心に読んだ。憲法の全体を(作品)として分析してみると表現構造としても実にいい加減なものであることに気付いたり、刑法の罪の範囲からはみ出す〈罪〉を数えて秘かに戦慄したりしていた。このような水準で出会い、既成のイメージを変換し、現実にも役立った概念の一つに〈参加〉がある。民事訴訟法から関連する箇所の要旨を引用し、註(これまで実現してきた成果の一部)をつけてみる。

第六四条 訴訟の結果に利害関係のある第三者は、訴訟に参加できる。(註 -- 本来、民事訴訟は自分でおこなうのが原則であり、だれでも利害関係を疎明すれば参加できる。弁護士に依頼することか経済的に困難な場合に有効であるだけでなく、刑事公判の不自由さを逆照射する仮装組織綸の展開の場になりうる。)

第六五条 ③参加の申し出は、文書でなく口頭でもよく、参加人としてなしうる訴訟行為と共にできる。(註 -- 開廷前から当事者席に座って相手側や書紀宮と打ち合わせしてもいいし、開廷後に例えば証人に対して尋問する行為を媒介して参加理由を開示していくと主張して尋問を開始してもいい。)

第六八条 ①参加を許さない裁判が確定しない間の訴訟行為は認められる。(註 -- かりに申し出を一審の裁判官が法廷で却下ないし棄却しても、「即時抗告する」と口頭でのべれば、抗告期間は一週間あり、この期間内に文書として出せばいいのだから、そのまま訴訟行為を映けられる。)     ②参加人の訴訟行為(註 -- 提出した文書、尋問~証言記録、その他なんでもいい。)を当事者が援用した場合は、参加を許さない裁判が確定した後でも効力を持つ。(註 -- 参加について最高裁まで争えば、かなりの期間があるから、最終確定までに、共闘者の表現を、どんどん引用したり応用しておけばいい。)

第七一条 訴訟の結果ないし目的自体が自分の権利を害すると主張する第三者は、当事者として訴訟に参加できる。(註 -- 第六四条~六八条が、当事者の一方への参加についてのべているのに対して、この条文は当事者の双方への異議ないし異化の作用を示唆する点が重要である。)

 私たちの経験では、法律の専門家は、殆ど前記の条文を知らないか、知っていても決して実際に応用せずに無視~抑圧する。憲法の空洞化に匹敵する、この事態に非専門家としての大衆が気付いていく契機は、情況の危機的空洞の総体を突破する作業への〈参加〉の速度と必ず対応しているはずである。

註一 -- 裁判過程(民事訴訟~行政訴訟)への参加の制度、処分に関する人事院審理の代理人制度(資格なしに、だれでも認められる。)を応用~活用していくのは良いことであるし、制度が自覚している以上の意味を引きだして制度を揺さぶり、変革していく努力は常に必要であり、私たちの試みの全資料を読者の活動のために喜んで提出する準備はあるが、忘れてならないことを列挙すると、

 ①制度的な規定や保証がない場合に試みている方針によっては制度が微動だにしないように見える段階において、方針や制度の対象化の契機として把握すべきであり、規程や保証があることを無媒介に前提としない方がよい。

 ②法律の水準の参加をする場合、具体的な訴訟の展開にとって有効であるかどうか、というだけでなく、関連する活動領域や自他の発想方法の深化~活性化に役立つかどうかを対等の判断基準にしてほしい。

二 -- この項目では、法律の水準の〈参加〉を契機として考察しているが、私が本来的にのべたいのは、現実の様々な場面において、意図しようとしまいと参加させられてしまっている関係的な拘束性をとらえかえし破砕していくために、法律の水準を補助線として引いてみることである。従って、〈参加〉の概念を、すでに1で展開した〈非存在〉の概念と統一して把握していただくことを切望する。