バリケード



 この概念についての平均的な解説の多くは、道路や自らのたてこもる場所を攻撃から遮断するために、手近にある材料を用いて構築した障害物というような記述をしている。
 語源(註一)からいうと、歴史的にはフランス語の大樽barriqueからきており、一五八八年五月にパリ市民が軍隊による制圧に対して、土を満たした大樽で道路を遮断したことに発する。ころがして運びやすい大樽にワイン等の飲料の代わりに土を入れるという発想は創意にあふれており、物体の用途の変換、生活にかかわる物質の武器への応用という意味で、現代にも示唆を与えている。
 バリケードが、ひんぱんに構築されるようになったのは、一八三〇年の七月革命から一八四八年の二月革命に至る時期、および一八七一年のパリ・コンミューンの時期であり、それぞれ市街戦を伴う反乱に大いに役立った。しかし、フランスの第二帝政下のパリ都市改造により、バリケード戦に有利な、狭く入り組んだ道路は除去され、この戦法は困難になっていく。これは、一九六〇年の安保闘争時における国会周辺の道路舗石が砕かれて投石用の武器として威力をもったことに気付いた支配者が、直後から道路をアスファルトで固めたのと共通の政治力学であろう。(註二)
 バリケードがパリにおいて困難になったとはいえ、前述のパリの伝統ある方法は、二十世紀に入ってからのロシア革命に、またヨーロッパ各地、とくにドイツ革命の市街戦に多く用いられた。材料も、語源の大樽を遠く離れて、家具、街路樹、馬車、時には爆破されて動け動けなった敵の戦車などが用いられている。
 これらの闘争に用いられるバリケードは、闘争自体が国家規模の、さらには国家群相互の衝突過程における最新の武器を用いる殺し合いへの拡大の方向をたどるのに反比例して、具体的な用い方としては目立たなくなったまま、第二次大戦後の二十年をすぎるが、一九六〇年代の後半、世界的に吹き荒れてくる大学闘争の中で復活してくる。いや、復活するというよりは、非暴力の自らの生活基盤や身体性の根底からの再検討をめざす表現過程において、無意識的に歴史上の蓄積が生かされたというべきであろう。
 日本の大学闘争におけるバリケードは、道路に構築されることもあるにはあったが、むしろ力点は、大学の建物、とりわけ時計台のような大学権力の象徴となる場所であった。用いられる材料は、多くの大学においては教室にある机や椅子・研究室や事務室にあるロッカーを主体としたが、右翼、民青や機動隊からの解除攻撃を受ける度に、材料や構築方法が技術的ににも思想的にも高度化していった。もちろん、技術的な高度化といっても、建築学の水準からは原始的・原初的なものであろうが、針金・釘・接着剤・斜めにズラせた配置等により、除去しにくくする工夫や、二十四時間をすごす各々の部屋に行きつくまでに、はしごを用いたり、はいこむ姿勢をとるように回路をつくる試みなどには、遊び=生活=闘争の統一性がかいまみられ、建築の原点を示唆するといえよう。さらに、これらの技術面の深化は、思想的な深化とも対応しており、多くのバリーケードの中に自主講座や反大学の企画が生まれ、バリケードの意味を共有する学外者にも開放されていた。従って、バリケードは、たてこもる、という閉鎖性のみならず、流動性や開放性をも持っていたのである。
 最終的には、治安維持の暴力装置である機動隊により、激しい攻防の後に、物理的なバリケードは解除されていくが、バリケード構築過程で獲得した思想性は、その後の監獄や法廷や各々の生活の拡がりの場においても生き続けている。自主講座等のおこなわれていた空間は、バリケード解除後の正常化=授業再開以降も、不可視のバリケードとして、秩序と敵対しつつ、闘争のテーマを深化させてきた。
 バリケード解除後の時期に、大学当局が、物理的な効果ではなく思想的な効果において、処分を企図してきた事例を特記しておきたい。神戸大学は、一九七〇年十月に、同大学講師であった松下昇を十二項目の理由で懲戒免職したと発表するが、その中に含まれるもので、とりわけ
*1 バリケード解除の際の不退去(註-研究室から六甲山系を眺めつつ原稿を書いていただけ。)
*2 長期間にわたる教室の不法占拠と使用妨害(註ーバリケードが解除される六ヶ 月前から、また解除後も持続的に自主講座や生活の場であった。)
*3 机・椅子によるバリケード構築(註-正常化が機動隊常駐下で進行する段階で、塀のない大学構内の正門に、象徴的につくられた。)
*4 教室の黒板に白ペンキで六対の〈 〉を表現(註ーバリケード解除直後に広場に出現した巨大な白ペンキによる〈 〉表現の連続でもある。)
 という各項は、何らかの意味でバリケードと関連しており、その思想性を裁くものであった。闘争参加者のうち六ヶ月間のバリケードを構築する行為で処分された者はいなかったから、大学当局は、具体性よりも思想性を怖れ、ダメージをうけていたといえよう。(註三)
 また、*1~*4のうち*4のみが大学当局の告訴により刑事事件となり、処分を含めて現在まだ裁判過程にある。(教室の壁や床や天井への表現が渦巻く中で、黒板への表現だけが起訴されたことは、空間内の動線以上に視線~幻想線が持つ重要な意味を示している。)さらに重要なことは、大学や国家が、このような〈バリーケード〉の思想性を裁こうとする動き自体が〈バリケード〉の意味を深化させ、とらえかえす媒介にもなっていることである。
 たしかに、歴史上の、いくつかの段階の華やかなバリケードと同じものを構築することは、現在、きわめて困難にみえる。しかし、それは体制的・機構的な矛盾が減少したからではなく、一層つよまり、私たちの内的な幻想性の構造を含めて体制化・機構化しているからである。従って、かってのバリケードと同じものを、そのままモデルとして再現するのではなく、むしろ、前述の大学=国家による〈バリケード〉の思想性への裁きを、さらに逆用して、至るところに〈バリケード〉を構築していくべきではないか。建築を含む現代技術の水準をも全てとりこみ、逆用しつつ。


註一)バリヤーbarrierをイメージとしての〈語源〉とみる視点も捨てがたいし、ある未来的な本質を帯びていると思われる。
註二)一九六九年秋の国際反戦デー以降の新宿西口改造計画や東大安田講堂前の広場の公園化も同じ。
註三)具体性より思想性の重視という場合、闘争やテーマ追求の持続性や他領域への応用を意味している。