一篇の詩を生むためには・・・



 かりにオウム事件の当事者が次のような詩を書いたと想像してみる。書き出しは、 
「一篇の詩が生まれるためには、
 われわれは殺さなければならない
 多くのものを殺さなければならない
 多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ」…主題の変奏後、最後に再び
「一篇の詩を生むためには
 われわれはいとしいものを殺さなければならない
 これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
 われわれはその道を行かなければならない」
 もしも、この詩に感動する人がいれば、オウムの被告人らを糾弾することはできないのではないか?これは詩であり、現実の宣言、まして実行行為ではないから比較したり、前記のような疑問を提出するのは誤っているという人がいるとして、私は、その人の詩の把握の仕方を信じない。詩とは、言葉が現実と同等の比重を持つことを前提とする、せざるを得ない位置から生じてくるのであり、その言葉が直ちに現実と化することへの責任と喜びなしに詩などつくるべきではないと私は考えているから。もし、この考えが誤っていると考える人がいれば、ぜひ聞かせてほしい。考え直す姿勢は持っているから。
 関連する私の考えを補充すると、私はオウムのいうハルマゲドン情況や、それへの対処方法が一篇の詩でありうるかどうか、また、かれらが〈ポア〉する対象を「愛する者」、「いとしいもの」とみなしていたかどうかに深い疑問があるし、かれらの行為が「死者を甦らせるただひとつの道」であるとは考えない。
 しかし、今後かれらが、時間的遅れを転倒~止揚する決意を含めて、その死に責任のある人々を「愛する者」、「いとしいもの」と考え、「死者を甦らせるただひとつの道」を追求し始めるようになるとすれば、かれらをこれまでのように批判し得ない。そのような可能性が殆どないとしても、また、私の考えが既成の倫理や発想から逸脱しているとしても、今このように提起しておきたい。それが、全ての人にとって「愛する者」、「いとしいもの」、そして「死者を甦らせるただひとつの道」を発見していく姿勢と関連していることを直観しているから。
 戦後、約四千の日と夜を潜った1956年に田村隆一が、どのような必然からこの詩を書いたか、その後、約一万四千を超える日と夜に、どのようにこの詩の根拠を深化させたかを今は問わない。この詩が書かれたという事実、この詩との関連でオウムの事件を見ることができるという驚きから私は出立したい。この詩に対応する〈詩〉を作り、生き、死者たちを甦らせるために。



ユリイカ 71年12月号(戦後詩アンソロジー特集)から
四千の日と夜
田村隆一

一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ ..

見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した

聴け、
雨のふるあらゆる都市、鎔鉱炉、
真夏の波止場と炭坑から
たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、
四千の日の愛と四千の夜の憐みを
われわれは暗殺した

記憶せよ、
われわれの眼に見えざるものを見、
われわれの耳に聴えざるものを聴く
一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
われわれは毒殺した

一篇の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殼さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない