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 私が避難所で受け取った食物は、主として、おにぎりとラーメン、時としてミカンなどの果物であり、単調といえなくもないが、今たべたいメニューとして多くの人々が口にするトンカツ、ビフテキなど屠殺を前提とする食物を超えていく契機であると意思表示し、自分でも何か新しいメニューを提起できないかと考えた。丘陵の上にある神戸大学から降りてくる坂道はガケ崩れのために通行禁止になっていたが、そっとナワを潜り抜けてガケ崩れの状況を確かめている途中に、いつも歩いている位置からは見えない場所にイチョウの樹があり、だれも拾わないギンナンが大量に落ちているのに気付いた。秋から1月中旬までの雨風や日光にさらされてきたために実は縮み、皮は固くなっているが、柔らかそうに見えるものを選んで拾っても、すぐに私がいつもホームレス風に持っている紙袋は一杯になった。皮をむいてから地盤変動のために吹き出した地下水で洗って干し、携帯コンロで焼いて多くの人々に配布した。また、自分で実験的に食べただけであるが、丘陵の斜面に生えているタンポポの葉や根の一部を取ってきて、サラダやキンピラゴボウ風に調理して味わい、他の人々にも、採取~調理の基底にあるものを含めて紹介した。

 これと対応して、私が受け取った、すばらしい食べ物を二つ記しておくと、

・近くの小学校の校庭に給水車が来て到着をマイクで伝えると、たくさんの人たちが容器をいくつか手にして集まってくる。順番を持っている列にはホッとした気分と共に一種の苛立ちかただよっているけれども、ある時、列に近寄ってきた10才位の少年か、一枚のスルメを細く裂いて一本ずつ、「とうですか」といいながら持っている人たちの口に入れはじめた。私も反射的にかみしめてから、やっとお礼をつぶやいたが、列にただよっていた一種の苛立ちが消えているのを奇跡のように感じていた。パンを裂いて弟子たちに配布し、これを自分の身体だと思って食べよ、とのべたイエスのことを、その少年は多分知らないだろうが、無意識に、それに匹敵することをしたのである。

・地震の直前に、古代インドのクリシュナ神への献身行為の現代的応用をめざす人々に出会った。かれら、かの女らは、インドの伝統をふまえた菜食料理を作り、集会や街頭で無料配布している。食事の前におこなう舞踏風の祈りもユニークで、一緒にやってみたがなかなか楽しい。それ以上に、食物を媒介する現代文明批判と、実践的展開方法に示唆を受けた。この集会は、東京から来た人々によって大阪で月に1回ずつ開かれているが、東京では週3回、新宿のホームレスの人々への食物配布をおこなっているそうである。2月になって、前回の食物の味などが忘れられずに?(註)参加した私に対して、時間的にも余裕のない集会企画者が私に、神戸の〈ホームレス〉化した人々への食物の配布を委託したので、私は黒砂糖とサツマイモから作られた不思議なお菓子を大量に持ち帰って被災他の人々に喜んでもらった。お菓子の名前や作り方の説明ができず、少し残念であったが…。

(註)参加理由の基本は、概念集シリーズの中から食物に関連する項目(〈メニュー〉の他に〈母子サルのゲリラ戦〉(概念集7)、〈死刑制度批判〉など)を集会で配布し、相互の長所を確認~応用し合う討論の媒介にしてもらうためであった。