五月三日の会 通信 4




神戸の十月から


 《8月》闘争によつて破産を暴露
  された評議会の《9月》における
    奇妙な沈黙を追撃する
 
 
 八月には二一日、三一日の陳述をめぐって、評議会は、文書の
伝達、デンポーの配達を連日のようにおこなっていたけれども、
九月に入ってからは、ついに一度もなかった。なぜだろうか?
 評議会は、八月中に処分を決定しようと予定していた。学生の
いない夏休みに、安全に処理し、学長選拳を文部省に認めてもら
い、大学闘争を含む全情況の悪夢を早く忘れ去るために。
 けれども、その予定は、見事に粉砕されてしまった。評議会は、
私に一方的な陳述条件(非公開、事実についてのみ議長の指示に
従って発言するetc)を押しつけ、私がそれ応じなければ、
「陳述の権利を放棄した」とみなし、たとえ応じても私が抽象論
を語るだけであろうから、「ともかく陳述はさせた」というアリ
バイを獲得して、処分を合法的に(これがかれらのギマンの表現
であることは、あらゆる事例についていえる)決定できると楽観
していたはずである。
 しかしながら、私は、さまざまの共闘者に支えられつつ、評議
会のギマンを公開し、かつ事実性論の武器によってかれらを脱出
不可能のワナに追いつめた。
 具体的にいうと、八月二一日の口頭陳述では評議会側の条件
を逆用して、n次の事実性のうち第1次の事実性(処分審査説明
書の文体、構成のギマン)のみ述べておき、証人、証拠を媒介に
しなければ、第2次の事実性には到達しないし、ましてや、n次
の事実性(存在革命の永続的展開を条件とする)には到達しない、
と主張した。従って評議会は、陳述を二回では打ち切れなくなり、
また、少数ながら参考人の意見を文書という抑圧したかたちでは
あるが、聴取せざるをえなくなり、核心的なこととして、私の主
張した内容(説明書の全面破棄と、闘争にかかわった全ての人間
による事実性の再論査)に圧倒されて、何一つ対応しきれないま
ま、九月を呆然とすごしたのである。
 私の方は、九月の三十日間を、三十年間(つまり、私が停年に
なるまでの年数)の速度で疾走し、8・7闘争被告団や……闘争
被告団の裁判闘争がふくむ問題を中心に、あらゆる位相の問題を
追求しつつ、たのし気に存在し続けていた。
 十月に入り、評義会は、支配秩序の必然的な力に強制されて、
ただひたすら盲目的に処分を確定してくるであろう。そして、そ
のことによって、自らの敗北を永遠に公表することになるのだ。
 すでに読者諸君が予感しているように、評議会が示したこの九
月の奇妙な沈黙は、ほんとうは、きみ自身の奇妙な沈黙に他なら
ない。この沈黙は全情況のタイハイの極限的な質を集約している
以上、この沈黙を共同的な追求の場で止揚しない限り、どのよう
に闘争Or生活しようと、そのスローガンOr 目的は虚しいし、
むしろ処分→新しいファシズムの到来の加担者であることの表
明である。
 第3→n回口頭陳述の必要性! このささやかな言葉が包囲
するヴィジョンを、きみが、どのように想像=創造するかによっ
て、きみの過去と未来が裁かれていくのだということを忘れない
でほしい。
 
  一九七〇・一〇・一
                 松  下   昇


  処 分 説 明 書
 
(教示) この処分についての不服申立ては、国家公務員法第九
〇条および人事院規則一三−一の規定により、この説明書を受
領した日の翌日から起算して六○日以内に人事院に対して、す
ることができます。ただし、この期間内であっても処分があっ
た日の翌日から起算して一年を経過した後、することができ
ません。
1.処分者
  (官 職)  神戸大学長事務取扱
  (氏 名)  戸 田 義 郎
2.破処分者
  (所属部課) 神戸大学教養部
  (氏 名)  松 下  昇
  (官 職)  文部教官 講 師
  (等級および号俸) 教育職(一) 三等級五号俸
3.処分の内容
  (処分発令日) 昭和四五年一〇月一六日
  (処分効力発生日) 昭和四五年一〇月一六日
  (処分説明書交付日) 昭和四五年一〇月一六日
  (根拠法令) 国家公務員法第八二条第一号、第二号および第三号
  (処分の種類および程度) 免 職
  (刑事裁判との関係) 起訴日 昭和四五年五月二三日
  (国家公務員法第八五条による承認の日)
    昭和四五年一〇月一四日
  (処分の理由).
   上記の者(以下「同人」という)は、次のような行為をした。

(1)同人は、「旧大学秩序の維持に役立つ一切の労働(授業、
 しけん等)を放棄する。」と宣言して、昭和四三年度第二
 過程(夜間課程)一般教育過程後期の同人連担当授業科目の
 成績表を提出せず、同年度一般教育過程(昼間過程)後期
 の同人担等((ママ))授業科目の期末試験の実施を拒否した。また
 同人は、昭和四四年九月一日から開始された昭和四四年度
 一般教育過程前期の同人担当の授業を拒否し、教養部長事
 務取扱の警告にもかかわらず、同期の授業を行わなかっ
 た。

(2)昭和四四年一一月八日付公文書をもって教養部事務取
 扱より同人に昭和四三年度一般教育過程後期の同人担当の
 授業科目の成績表提出および昭和四四年度一般教育課程後
 期の授業担当を要求し、授業放棄が給与法による給与減額
 の対象となることを通告したのに対して、同人は、昭和四
 三年度一般教育課程後期授業時間割への同人の授業の組入
 れを申し出たが、同人は、その後、次のような行為をした。
 すなわち、昭和四三年度一般教育課程後期授業科目の成績
 判定については、試験制度そのものに対する批判と称して、
 受講者二四三名全員に0点をつけた。また、昭和四四年度
 一般教育課程後期の授業については、同人の授業放棄に対
 する給与減額措置が撤回されるまで休講を続けると宣言し
 て開講せず、教養部長事務取扱よりの警告および休講不承
 認の通告にもかかわらず、同期の授業を行なわなかった。
 そのため、教養部教授会は同人担当授業の受講生を他の教
 員の授業にふりわけ受講せしめることを余儀なくされた。

(3) 同人は、昭和四四年二月五日以来、教養部教授会を欠席
 し、同年一〇月一日付公文書をもって教養部長事務取扱よ
 り出席を勧告された後も、翌四五年四月一五日までの間に
 開催された教養部教授会に、同年一月一四日を除き、出席
 しなかった。

(4) 同人は、昭和四四年度本学入学試験第一日目の同年三月
 三日に、第一試験場(神戸市立御影工業高等学校)におい
 て本学教職員に対して入学試験事務の拒否を煽動する文面
 のはり紙をなし、学長事務取扱の要請を受けた教養部長事
 務取扱よりの説得にもかかわらず、同人はそのはり紙を撤
 去しなかった。入学試験第二日目の翌四日に第八試験場
 (兵庫県立神戸高等学校)付近において配付された上記はり
 紙と同旨の同人名のビラも、同人が作成したものであった。

(5) 本学評議会の議に基づいて、学長事務取扱が、本学学舎
 等の不法占拠状態を解除するために、昭和四四年八月七日
 および翌八日にわたり、本学各学舎等の不法占拠者に対し
 て退去命令を発し、大学当局の許可なき者の各学舎構内へ
 の立入禁止を命令したさい、同人はこれらの命令に従わず、
 両日にわたって教養部学舎内に残留して退去しなかった。

(6) 同人は昭和四四年八月八日に不法占拠状態が解除された
 教養部学舎のB一〇九教室を、同年九月一日より、一部の
 学生とともに占拠して無断使用し、再三の教養部長事務取
 扱よりの同教室の使用禁止・明け渡しの通告をも無視して、
 翌四五年二月二八日に至るまで不法占拠を継続した。その
 結果、正規授業のための同教室の使用が妨げられた。

(7) 同人は、昭和四四年度一般教育課程前期授業開始第一日
 日の、昭和四四年九月二日に、一部の学生とともに小林正光
 教授の化学の授業が行なわれるB一〇九教室に入りこみ、
 同教室の教壇を占拠し、小林教授の抗議や教養部長事務取
 扱等による退去説得にも応ぜず、一たん室外に連出された
 後、再び室内に入って教壇の占拠を続け、小林教授の授業
 実施を中止するのやむなきに至らしめた。

(8) 同人は、昭和四四年九月二四日に、一部の学生とともに、
 教養部学舎N四〇一教室の入口付近に坐りこみ、同教室に
 おいて行なわれる湯本昭八郎講師を担当主任とする生物学
 実験の授業を中止するのやむなきに至らしめた。

(10) 同人は、昭和四三年度一般教育過程後期期末試験第一日
 の昭和四四年一一月八日に、一部の学生とともに、吉村毅
 助教授担当の英語の試験場(教養学部学舎LL教室)へ試
 験開始前に侵入してこれを占拠し、試験の実施を中止する
 のやむなきに至らしめた。また、同日、同人は、一部の学
 生による妨害のために混乱していた荻野目博道教授担当の
 英語の試験場(教養部学舎C四〇一教室)に立入り、受験
 生の前で受験拒否をしそうする文書を板書した。

(11) 同人は、「昭和四四年一二月三日に、同人の処分を審議
 する教授会の会場に入りこみ、同教授会を中止するのやむ
 なきに至らしめた。また、昭和四五年四月八日にも、同人
 は、一部の学生とともに、教養部教授会開催予定時刻の約
 一時間前から会場への通路に坐りこんで教授会開催を困難
 ならしめ、教養部長事務取扱の退去命令にも応じなかった。

(12) 同人は、昭和四四年八月八日の本学学舎の学生等による
 不法占拠状態解除後、しばしば、教養部学舎内廊下の壁扉
 等にマジック・インクで落書きをしたが、同年一一月八日
 に教養部学舎LL教室を占拠したさいには、同教室内の壁
 にマジック・インクで落書をし、また、同年一二月下旬
 から翌四五年一月上旬にかけては、教養学部学舎の多数の
 教室の黒坂の全面に白ペンキで落書きを大書し、授業に支
 障を与えた。同年三月に教養部当局より汚損箇所が修復さ
 れた後も、同人は落書きを止めなかった。
 
 上記のごとく、同人は、本学教養部教員としての重要な
職務を放棄し、本学および本学教養部の管理機関の決定な
いし執行機関の命令に違背し、本学教養部の教育機関とし
ての機能の遂行を妨げ、国有財産を損傷した。これらの行
為は、国家公務員法第第九八条第一項および第一〇一条第一
項の規定に違反するものである。
 よって、国家公務員法第八二条第一号、第二号および第
三号の規定により、同人を懲戒処分として免職する。

  ・・・・・・
 
 
 処分説明書は、私に到達しうる文章表現としての最低限の生命
力すら失っている。というのは、この文書は評議会が私の〈陳述〉
に敗北したことの宣言をないし自己証明として、死体のように投げ
出されたのであるから。
 
 私たちの闘争過程の一瞬一瞬は、名付けがたいほどの深さと拡
がりをもって私たちの敵対者の真の姿を明らかにしてきたけれど
も、ここで、あらためて、七・三一の審査説明昔と一〇・一六の
処分説明書のスキマから、私たちが引きずり出し、共有すべき問
題点を、いくつか記しておこう。

 
・ 二つの文書の関連は全く述べられていないし、述べることが
 不可能にされている。審査説明書のままの表現で処分説明書を
 作成しえなかった評議会は、必ず、かき変えたこと、しかも、
 このようにブザマにかき変えたことによって復讐されるだろう。

・ 八・二一、八・三ー以降、一〇・一六まで、死の沈黙を続け
 た意味を対象化していく必要がある。この沈黙の質は、大学闘
 争を圧殺してきた沈黙の質を集約したものであり、また、これ
 を逆にたどりつつ、私たちの未来に出現する表現をかいまみる
 こともできる。
 
・ 審査説明書は、三つの構成をまがりなりにも持っていたけれ
 ども、処分説明書はそれすら、ローラーで押しつぶしたように
 平板化され、評議会がn次の事実性論の前に、いかにあわてふ
 ためいたかを示している。その結果がいわば0次の事実性への
 後退となっている。

・ 処分説明書は、文体・語法が硬直化しており、起訴状の調子
 に接近し、ある意味では、それをこえるほどである。これは権
 力者たちの無意識的な重層性と世界(史)性を暗示しているよ
 うに思われる。

・ 審査説明書に対する第一次の事実誤認が、私や参考人の陳述
 をへたのちにも放置されたものが多く、むしろ増大している。
 いうまでもなく、これは、陳述の機会を与え、参考意見をきく
 という評議会の方針が、たんなるアリバイ作りに他ならないこ
 とからもきている。
 
 
 その他、さまざまの方向からの批判が可能であるけれども、そ
れは、処分説明書を自らにあてられた文書であると考える全ての
〈私〉によって展開されるべき作業であり、この作業は、このよ
うな文書を成立させている現実の根拠そのものを粉砕していく闘
争と同時におこなわれなければならない。


    一九七〇・一〇・一六
           松 下  昇



      いくつかの断片的方針

・ 私は処分に関する説明書を評議会に対し返送した。その理由
は、形式的には、一〇月一六日に評議会代表がその文書を私に
手渡そうとしたが、私が拒否したためであるが、本質的には、
その文書が表現として成立不可能であり、私に到達しうる生命
力を全くもっていないため、死人をして死人を葬らしめるのが
よいと考えたからである。私の返送した文書には、一六日付の
私のビラが同封されてあり、これを含む公開討論をよびかけて
おいた。
 にもかかわらず、評議会は、私の送った文書を一度は開封し
たらしいが、何一つ説明をせず、そのまま、別の封筒に入れて
送り返してきた。この一見ささやかな喜劇には、深い意味があ
るだろう。その一つは、評議会のロボット化、非人間化が明ら
かに最終決定したことであり、もう一つは、この問題について、
あらゆる方法で公開の討論、追求が必要になっていることであ
る。
 とくに後者については、人事院の審理という場を媒介とした
新しい闘争を、評議会が自から準備したことになる。もちろん、
私たちは人事院審理がなくても最大限の闘争を展開するであろ
うし、それがなされうるとき、はじめて人事院をふくめた私た
ちの敵たちを逆用しつつ永続闘争をしていくことができるので
ある。
 
 
・ 教養部長事務取扱いは、二度にわたり、
 a 一〇月末までに研究室を立ち退くこと
 b 研究図書を返還すること
 を文書で要求してきている。

  しかしながら、私は、次のように主張したい。
a、については、(1) 処分そのものが根拠ゼロであり、少くと
 も人事院の審理が終了するまで立退要求の根拠はない。(2) 別
 の理由で、他の教官が入室するのであれは、少くとも教授会で
 部屋の移動について慣例通り討議し、入室教官が決定すれば、
 直接交渉に応じる。(3) 今までの退職・転任教官の場合の研究
 室問題を公表せよ。

b、については、こちらから図書の全部を一括して返すことはし
 ない。(1) 私の研究室に来たものが読みたい本を発見したとき、
 (2) 図書館でカードをしらべ、自分のよみたい本が私の研究室
 にあるのが判明したとき、
 研究室の貸出ノートに記入した後、その本の管理を自主的にお
 こなうべきである。(図書室に返還するのが妥当と思えば、自
 分の責任でそのようにしてもよいだろう。)
 
 
 一二月二四日に開始される………闘争被告団の裁判をふくめ、
 これから生じる一つ一つの事態に、私たちの共同の問題と固有
 の問題を全て総括しつつ立ちむかおう。もはや、失うものは何
 一つない私たちに怖れる必要はない。

        一九七〇・一〇・二八
                松 下  昇


       公 開 要 望 書

         神戸大学評議会 御中

 わたしたち、大学を告発する、京都大学全学教官連合は、さき
に8月12日、貴評議会が7月31日何で貴大学松下昇講師に「交付」
された「審査説明書」にかんし、いくつかの疑問点を明示して、
貴評議会にたいする公開質問を行ない、貴評議会が松下講師「処
分」手続きを進められる以前に、それらの疑問点に答えられるよ
う要望いたしました。しかし現在まで貴評議会は、わたしたちの
問いに答えて「処分主体」としての貴評議会の倫理的正当性を明
らかにすることもなく、沈黙のうちに10月16日、松下講師にたい
する「処分」を決定されています。わたしたちは、わたしたちが
公開質問書に指摘した疑問点について、またその質問書の貴評議
会における扱いについて、直接貴意を承わりたいと存じ、10月19
日、貴大学まで参上しましたが、貴評議会議長が不在であるとの
ことでしたので、一週間以内に会見したいとの要請を、庶務課長
をつうじて伝えるにとどまりました。そしてこれにたいする答え
もないまま、今日にいたっています。わたしたちは本日、あらた
めて貴大学へ代表を派遣し、重ねてわたしたちの意向を伝え、貴
評議会が早急にわたしたちと時間・場所その他を打ち合せた上で
会見すること、その席で貴評議会の答えを開陳されることを、強
く要望するものです。

    一九七〇年一〇月三〇日
  大学を告発する・京都大学全学教官連合
   連絡先 教養部ドイツ語教室  野村 修
     電話(075)ー771-8111 内線4813



5月三日の会 通信 4   20.11 1970
p7-13 より 

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