概念集・1   〜1989・1〜      

     宙吊り

 この概念 に関連するヴィジョンを列記してみる。

a.法廷の証人席に立って質問を待つ瞬間
b.裁判所から来た特別送達などを未開封のまま別の提起に応用する過程
c.ある重要なテーマ群の変数が複数あるとき、一つの変数以外を定数として扱う方法
d.死刑台から奈落へ落ちつつある人間を救う手段が見つからない絶望の状態
e.非存在することによって、関係性を微かに浮かび上がらせようとする時の他称
f.情況と対等の意味を待たせうるテーマについての作業を、もう一人の〈自分〉に委託しうるまでの模索


 これらのヴィジョンは、メモを準備したり、考えをまとめたりせずに、宙吊り状態の意識でワープロに打ってみたのであった。その後、批評集や発言集〈 〉 版などの註〜序文を読み返している時に。
 「神戸大学闘争史」発行過程の宙吊り
 原本の宙吊り性や、解雇をめぐる宙吊り状態
に ついて、すでに触れていることに気付いた。これまで発表してきた全表現について読みかえしてみれば、もっと多彩な使用例がみつけられるであろう。そのため に読みかえしていくのは楽しみであり、全概念について、そうしていきたいが、同時に、読みかえし、再発見するまで意識からはみ出していた〈宙吊り〉情況 が、どこから発生し、どのような波動で私たちを浸しているのかを見極めたい。それを媒介して初めて、前記a〜fをバネとする未踏領域への応用も可能になっ ていくであろう。
(概 念集・1 p20)

      パタン・ランゲージ

 この概念 を知ったのは、同時代建築研究会の企画である「ワード・ マップ  現代建築」の項目案のうち、内容は判らないながらも引力を感じたものの一つとしてであった。そして、この概念を表題とする本(カリフォルニア大 学バークレー校の建築科救援、クリストファー・アレクザンダー)の翻訳(平田 翰那)を概読して、次の点に興味をもった。

 1977年に 前記の本を刊行するまでの8年間(つまり1969年以来)、アレクザンダーは、ある水準のコミュニティ内の全員が参加して町や住宅を作る場合に必要な原型 =パターンを253項目にまとめ、それらの各項目の関連を、言語における文法のように位置づけようとしている。(ただし、品詞〜センテンス水準の対比では なく、いはば基本文型における文節や修飾句の相互関係の水準の比喩として把握した方がよい。)

 最初に、コミュニティの総体を規定する項 目群、次に、町の交通〜道路の骨格についての項目群、その後に、住宅設計、住宅相互、住宅内、部屋、様々な生活感性に対応する空間的ゆらめき・・・に関す る項目群と要約しうる流れがあり、大きい規模のパターン群から小さい規模のパターン群へ向かう。このラングージを使いたい人は、それぞれのパターン群から 自分に役立ちそうなものを選んで自分の計画のために用いることができる、とされている。 私なら、どんな項目を選ぶか、チェックしてみよう。
1・ 自立地域、8・モザイク状のサブカルチャー、25・水への接近、28・中心をはずれた核(活動の接点)、43・市場のような大学、98・段階的な動線領 域、111・見えがくれの庭、151・小さな集会室、204・開かずの間、247・隙間だらけの舗道といったところに印がついた。

 もちろん、具体的な建築技術に関連するパターン群をいくつもパスしてチェックしているから、コミュニティを支える建築のイメージには遠いが、ある感じは 伝わるだろうか。

  アレグザンダーの他の著書や設計を全く知らずにいうのであるが、かれのパターン・ランゲージには、60年代末のアメリカにおける大学闘争の反映があるよう に思う。というのも、前記の項目をチェックした後で、私は、69年の日本のバリケード的光景にどこかで隣接する項目を無意識的に選んでいることに気付いた からである。かれも前記43の解説で、思想のマーケット化や空間的分散化、だれでも講座をもったり授業を受けたりできるイメージをのべている。204を置 く感性も、逆封鎖空間と関わりのある私に親しい。

 しかし、パターン・ランゲージ論の限界ないし未解決の領域の気配を私にどこかで感じさ せるのは、かれがパターンやランゲージが不可能と化する場の〈絶望〉をくぐっていないことから来るのではないか。かれが現在の建築技術を一たん根底から疑 い、大学で職を持たずに、もう一度パターンのランゲージを構成しうる時に発見する方法と、最初の方法の共通部分が残るとすれば、その共通の核こそが、大学 闘争以後のコミュニティを、闘争の世界史性の流れに沿って物質的に変えていくのに役立つであろう。
(概 念集・1 p23)
参 考url(野原による):
http://ja.wikipedia.org/wiki/パタン・ランゲージ
http://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー・アレグザンダー
http://www.amazon.co.jp/パタン・ランゲージ―環境設計の手引-クリストファー・アレグザンダー/dp/4306041719
 パタン・ランゲージ—環境設計の手引 (単行本)
クリストファー・アレグザンダー (著), 平田 翰那
「基は建築家 Christopher Alexander による.相互に関連したパターンの集合.個々の問題の解決法であるパターンを組み合わせることにより,より体系的に問題を解決に導けるようにしたもの.
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D1%A5%BF%A1%BC%A5%F3%A5%E9%A5%F3%A5%B2% A1%BC%A5%B8」
デザイン言語基礎論 第10回:パタン・ランゲージ  担当:脇田 玲
http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2005_22687/slides/10/
松下はあげていないが、「ちびっ子のほら穴」天井は低くし(1.2m〜0.74m)入口も小さくする、なんていうのも興味深い。
http://www2.gol.com/users/okuyama/web/ptn.html
『パタン・ランゲージ』 写真が多くパタンを理解しやすい。


      文学

 この概念について記すのは気がすすまないな、と思いながらも、やはり何かを記してお
こうとする項目の一つに、文学がある。正確には、文学に関連する、ある偏差であるが。

 六〇年代の前半に神戸大学へ語学教師としてやってきた時、私は、語学への能力も関心
も殆どないことを、掛け値なしに自覚していた。なかば夢遊状態で生きていくためには、
いくらかの義務的な煩わしさに耐えれば、丁度ふさわしい職業と思えた。文学への能力や
関心はどうかといえば、遠い異性を意識しつつも、多分ずっと無関係に過ごすだろう、と
予感する時の恥じらいと断念に似た目の伏せ方があった。

 同僚の教師たちの中で、文学をふりかざす人には、どうしても異和が湧き、つきあわな
かった。たった一人だけ、菅谷規矩雄を例外として。しかし、かれと文学論をした記憶も
あまりない。六〇年安保闘争の渦の中で、それぞれ一瞬、何かを見た後、異境で何かへの
視線の根拠を黙って温めている、という共通感覚で十分であった。

 私に対して、もっと文学に関心を持てと忠告した教師たちは、その後、大学闘争の開始
と共に、闘争を抑圧する役を積極的に演じていく。たった一人だけ、菅谷規矩雄を例外と
して。かれは、悪質な文学派の教師たちに対して、私が行かない酒場などで孤立無援の論
争を二年余りおこなってから名古屋大学へ去り、そこでも多分おなじ経緯の後六九年秋に
都立大学へ移り、一時間も授業しないままに七二年に懲戒免職処分された。

 個人的には、かれに関しては良い記憶しかない。それどころか、六〇年以後、本当に私
の苦闘を理解し、共闘しようとしたかれの、文学を拠点とする姿勢に応える姿勢を、私は
未だに形成していないし、この負債の質は、これからも持続するだろう。このことを踏ま
えて、なお次のように呟いておくことが、私がかれと共に六〇年以来みつめてきた何かの
ために不可欠であると考える。

 かれの闘争表現、特に一九六九年一一月一一日の授業再開拒否宣言を読んで最も目につ
くのは、文学という言葉が何回も出てくることである。この言葉なしに表現できないもの
か、という疑問ないし異和か私に潜在した。そして、かれの方でも、私が〈  〉を用いな
いで表現することを願ってきたであろう。この相互感覚のズレの対象化をどちらもなしえ
ていないが、対象化か恒常的な表現論としても今こそ必要だ、とあなたは思わないか。

「闘争に関与し加担する限りにおいて、自分の文学あるいは詩を〈無言〉の領域の奥深く
に封じ込めざるをえないであろう、と考えた。」七〇年代に大ってから六九年を振り返っ
て記されたかれの文章を読んだ時、私は痛々しくて目をそらさざるをえなかった。(本は
パンに変換したので、正確な題名等は不明。読者の御教示を乞う。)私にとっては、既成
の大学を許容する文明の様式に封じ込められた文学あるいは詩の原ヴィジョンを、その無
言から解放せざるをえない情況こそが、大学闘争と呼ばれるものの別名の一つであること
は自明であった。これは二〇年近くを経て辛うじて言葉に変換するのであるが…
概 念集・1 p27

      科学

 大学における研究分野は、人文科学・ 社会科学・自然科学の三つの系列に統括的に区分されており、研究者は従って、必ず何かの分野の科学者である。これだけでも科学ないし科学者は批判的に把握 すべき概念である、と断定するのは反ないし非科学的であろうか。

 東大全共闘代表とみなされ、自らもあえて否定しなかった山本義隆の 「重力と力学的世界」(現代数学社1981年)は、副題が「古典としての古典力学」 であり、大学の外で研究者であろうとするかれの、科学(史)論としての大学闘争総括としても読むことができる。過ぎ去った形容詞でない古典としての過程に 生命を注ぐ人がここにも存在する。

 天体運動の円秩序と等速性はヨーロッパ古代以来うたがわれることがなかったが、ケプラーの楕円軌遭と非等速性(面積定理に対応する速度の変換)の証明 は、その後の世界観や自然観に決定的な影響を与え、ケプラーの重力概念はニュートンにより厳密な数学的原理へまとめられていくが、前者が魂や霊の概念との 関連において重力をとらえるのに対して後者は神学原理の中でとらえる点において前者と同様に中世の余波を受けているとはいえ、現象から帰納して説明するの が対照的である。また、現在からみると意外であるがガリレイは天体間に働く重力を否定し、天体の円運動をあらためて主張している。これが近代への過渡期に おける人間の側から自然を読みこもうとした際の不可避的な認識例であることを、著者は説得的にのべている。また、重力がニュートンとその後のフランス啓蒙 主義では全く異なる関係性の中でとらえられ、後者が科学の機能を近代的認識や技術との対応において重力を関数概念として抽象化する度合で普遍性を獲得し、 現代もその流れの中にあることが多くの資料や考察をふまえて示されている。

 科学理論の完成は各時代の〈あいまい〉ともみえる多くの設問を捨象することによってなしとげられるものなのか、という著者の悲哀を帯びた後記の呟きは、 共同利用研究所と称される東大物性研究所が著者に対してなぜか図書の閲覧を拒否したことの指摘と共に印象的である。私たちは、著者の批判的視点を、全共闘 運動の提起した問題を圧殺して正常化をはかった大学および、大学に象徴される学問体系〜社会構造を、歴史的な原初性から転倒する実践的視点へ応用しうるで あろう。

 この項目を考えている間ひびいているヘルダーリンの詩「ケプラー」がある。1789年に、同じテュービンゲン神学校で二百年前に学んだ先駆者に対して書 かれた詩の中から星々の間を歩くニ人の足音が聞こえてくるようである。私たちは、この詩の二百年後、多くの先駆者の足音に近づく努力を忘れ、かれらが不可 避的にかかえこんだ設問があることに気付かずに、成果を技術的に利用しているだけではないのか。私なりにいいかえれば、ケプラーの設問の一つは重力の本質 をマルクスが「ドイツ・イデオロギー」の序文で用いた方法と逆に、既成の社会や自然以外に求める志向であり、ヘルダーリンの設問の一つは幻想の異常が訪れ る時の力学的世界性であった。いずれも科学の未解決の問題に属する。
概 念集・1 p28


      不可能性

       
 一九七〇年一月三日付のビラ〈なにものかへのあいさつ〉(表現集などに転載)には、
これから持続的にとりくむ三つのテーマの最初に、不可能性表現と記している。この瞬間
にどのような感覚で不可能と表現したのかについて、不可能な感覚と競合するように表現
してみると…
 〈これまでのジャンル区分(狭い意味の表現形式のみならず、発想~存在様式を含む)
から、意図するしないにかかわらず、はみだしていくだろうが、闘争というより〈 〉過
程から見えかくれする何かを追求して生きて行く限り、そうである他ない。この意味を既
成のどのような概念で置き換えるのも評価するのも不可能であり、拒否する。〉

 このような感覚の背後には、機動隊の警備下で授業や教授会が強行されつつあり、私に
対する処分~起訴の動きが切迫している情況は勿論あったのだが、不可能(性)の概念に
ついて、より本質的にいえば、

  (1)闘争開始後に現れたのではなく、むしろ、六〇年代の、情熱空間(論)にも関連
する深い眠りの季節に、すでに方法的に予知していた。〈六甲〉~〈包囲〉と〈情況への
発言〉の非連続的な連続性に注目していただきたい。

  (2)六〇年代と七〇年代の境界線をバリケードが飾る段階で、他者とりわけバリケー
ドに敵対する他者への視線~提起に不可能(性)がこめられていく。すなわち、バリケー
ドによる問題提起が受け止められないまま解除されている以上、かって可視的にあり、今
も〈 〉としてあるバリケーード内には解除に加担した者は入れないし、かれらがおこなう
全ての行為は不可能である、という思いが言葉以前に存在した。

  (3)私は、今も、今こそ、〈 〉としてあるバリケードの中にいるものたち総体の討
論を経るならば必ず否定されるような行為(大学の業務のみならず、それを支え利用する
社会構造においてなされる全ての行為を対象とする。かってのバリケードでもそうであっ
た。)を否定し、不可能であると主張する。

 ここで次のような疑問が出てくるかも知れない。仮装的に要約すれば、(1)否定した
り不可能であると主張しても、現にここにあるではないか、主張を具体化できないならナ
ンセンス。(2)判断基準をバリケードに固定するのは不十分であり、より重要な活動の
場は多いのだから、そこへ判断基準を移動~深化させるべきである。(3)可能とか不可
能を判断する基準は何か、また、その判断をしえない存在をどうするか。

 総体への応答の序としてのべると、バリケードでもある〈 〉を媒介して、意識~言語
発生以来の全ての概念が、空間として永続性と世界性を帯びうる場で、参加者が直接~対
等~公開の位相で問いなおされ始めたのであるから、この問いの及ばない場や関係はない
し、この問いを拒否する場や関係は必ず、可能~不可能について判断~意志表示しえない
存在を抑圧している。そのような場や関係の解体の時を、あなたと共に引き寄せよう。
概 念集・1 p29

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