時の楔通信第〈9〉号(八四年二月)の最後に、
〈訂正について〉という表現がある。内容を要約すると、
一.通信各号の最後に訂正リストを掲載しているが、文章の誤記、校正で見落としたミスプリントなどは、印刷終了後の配布段階で視えてきたり、補充したりす
ることが多く、これは執筆〜印刷〜配布の全過程の一部にしか関わっていないことから生じる〈疎外〉に関連する。
ニ.表現の原論的ヴィジョンと交差させると、
(1)〈黒板〉〜〈壁〉への直接表現や話体で
の言葉は、時間をおいて訂正することが困難ないし不可能であるという表現位相内部の存在論ともいうべき感触。
(2)証言記録では自分の発言であっても訂正は実質的に無視されることにも示される、権力が内部の記録(者)しか認めない構造。
(3)人間〜社会の行動軌跡〜様式の対象的〈訂正〉を可能にする組織論は何か、という問い。
三.通信の各表現や構成は完結〜確定したものではなく、今後すべての共闘者と再検討しつつ情況〜存在に突入させていくための素材を仮装しており、この方向
での〈訂正〉を切望している。
前記の文章を(直後の訂正リストと共に)書いた時にも、いま自分は〈訂正〉概念を変換しうる場にきており、私の表現が、この世界に存在する限り、提起とし
て飛翔し続けるであろう、と考えた。いまも、そう考えている。そして、さまざまの表現の主体が、文学に限らず、自らの表現をどのように訂正するかに注目し
てきた。
概念集の作業の過程で出会った先人の試みの一つにモンテーニュの『エセー』がある。
(エセーは随想録と訳されることが多いが、essaiはフランス語の essayerの名詞形〈試み〉であり、ドイツ語で同義のブレヒトの論集
Versuche と共に吉本隆明の編集する『試行』を連想させる。)
一五三三年に生まれたモンテーニュは、一五七二年から『エセー』を書き始め、一五八○年(a)に九四項目を、一五八八年(b)に改作した前記の九四項目と
新しい十三項目を刊行し、一五九二年(c)に死ぬまで訂正し続けた。かれは自分の訂正の原則は、抹消ではなく追加である、と文中でのべ、多くの研究者の研
究により、前記のa、b、c段階の印をつけられた文章の各部分が、時間経過にもかかわらず、安定したリズムで最終表現へ集積していくのを確認することがで
きる。
かれは、訂正に関するこの原則を持つ理由を、要約すれば次のようにのべている。
*1 作品を公表してしまった以上、読者は公表された
形態で読む権利を持ち、こ
の権利は、訂正したいとい
う作者の権利よりも大きい。
*2 公表後に変化した自分の思想が、公表段階より優
れているとは限らず、訂正を公表するとしても別の本でする方がよい。
*3 印刷技術上のミスを訂正するために読み返すくら
いなら、同じ量の『エ
セー』を新しく書きたい。(なお、かれは自分で原稿を書かずに、よく召使に口述筆記させた。)
この発想から、貴族としての、または資質としてのおおらかさ、ないし限界を読み取るのは容易であるが、むしろ、全記述との関連で多くの示唆を引き出すこと
ができる。現代に劣らない位の激動する情況から意志的に閉じ籠もり、文章を書いて公表するというだけの〈行動〉を選んだ時に、この唯一の〈行動〉にこめた
姿勢。激しい宗教的〜政治的対立や流血を長い年月にわたって目撃し、確実な信念はありえないかも知れないという〈確実な〉思想にたどりつくまでに耐えた空
虚の対象化。それらの比喩として、古典的な綴字法を指定したのに当時の流行形態で印刷されてしまうことへの不満をのべたのであろう。
また、かれは、記述した内容ではなく、構成の順番については、かなりの変更を公表前にしており、各項目の展開の順序や範囲について苦心している私には大
いに参考になる。
時代も方法も力量も、遥かに私と遠いことを踏まえて、幻のモンテーニュ(および前記の〈試み〉に関わる先行者)に、私の試みとしての概念集、とくに〈訂
正〉論を対置してみたい。五年前の表現を応用する形で補充しながら。
一.
執筆〜印刷〜配布の全過程に関わろうとすること、全ての人がそうしうる情況をつくろうとすること、その試みが極めて困難であるが不可能でないことまでは視
えてきた。訂正についても、具体的な作業を行う人の内的な意識を共有しつつ、この意識や労働対価の疎外形態の止揚をめざしている。
ニ.(1)〈黒板〉〜〈壁〉への直接表現や話
体の言葉も、それらが影響を及ぼした幻想性のエネルギーの量と質を、関わりをもつ全当事者が認識し解放してい
く度合で、より高次の水準へ〈訂正〉しうる。
(2)権力の表現所有〜訂正に関する構造は、基本的には権力構造の打倒〜解体によって〈訂正〉しうるが、権力が無視しえない、別の〈同一〉表現をつくり
だし対置する作業が、拘束されている表現を固定化させないためにも必要である。
(3)人間〜社会の行動軌跡〜様式の対象的〈訂正〉の組織論の萌芽は、前記(1)、(2)を具体化する際に、モンテーニュのとった〈空虚〉への対し方の
対極で〈 〉を媒介して出現しつつある。
三.この概念集、とくに2の〈訂正〉論は、全ての共闘者が考え、再構成していくための素材を仮装している。
(『概念集・2』 p27-28) |