〈ハンガリー革命〉ーー〈六甲〉
〈ハンガリー革命〉は、私たちのほとんど耳にしたことのないことばであり、〈六甲〉は、親しすぎるくらいのことばである。いま、ここで、この関係を転倒させ、〈ハンガリー革命〉を私たちの内部へとりこみ、〈六甲〉をはじめてみるまなざしでとらえるのが、この小論の意図である。従って〈 〉をつけたことばは、いわば、この紙面から別の位相へはみだし、ゆらめき、舞い上ろうとしていると考えてよい。表題の二つのことばの動きや、相互の対応のかたちを追求する前に、まず、それぞれのことばが、最初に私たちに与える手ざわりをたしかめておこう。
〈ハンガリー革命〉ーー私たちは歴史年表の中に、さまざまな〈革命〉の文字をみるけれどもそれを支持するか、しないかにかかわりなく、一つの記号のようにみなしている。ところで私たちは、歴史年表の中に〈ハンガリー革命〉という文字をみいだすことができない。どの年表をしらべても一九五六年のところを開くと〈スターリン批判〉の次あたりに〈ハンガリー動乱〉とか〈ハンガリー事件〉とか〈ハンガリー問題〉という文字にぶつかるだけである。これは、殆んどすべての文献からジャーナリズムに至るまで一貫した現象である。この現象は怖しいことではないか。そして、この現象に気付かないのは更に怖しいことではないか。私のこの問題提起は、トロッキーの文献や、反スターリン主義の方針とは別の位相でなされている。ある発言を現存のイデオロギーや組織の枠に還元するのは私たちのえらぶべき態度ではない。
私自身は、この不可解な歴史的事実を〈革命〉とよびうる根拠と資料をいくらかもっているが、いま強調したいのは次の諸点である。
〈革命〉に立ち上ったものも、鎮圧にあたったものも、自分が、いまなにをしつつあるのか分らなかったこと。この歴史的事実をどのように判断するかによって現代史の評価軸が転倒してしまうこと。そのような契機をはらんでいるのに、もしも放置しておけば事実の集積の中へ埋没していくこと、などである。
ーー十年前の秋、それを〈帝国主義者の陰謀〉だと信じこんでいた私は、その後いくつかの闘争に参加する過程で、それを〈革命〉だと評価しなおさざるをえなくなった。
エピソードを一つ。その後、私は、デモに行けば、機動隊員から〈ソ連・中国の手先〉といってなぐられ、デモから帰れば〈前衛〉党員から〈米日反動の手先!〉といって非難された。…そして、私は神戸を〈たよりにならない〉大学をもつ港町だと思っていた。安保以前のことである。私の〈個人的な体験〉からいえることは何か。すべてのものは、この〈ハンガリー革命〉に対する十年間の評価の変移を検討し、そこに含まれるドラマをかいまみよ。それを無現したりなしくずしにする態度は、戦争責任を無現したり、なしくずしにする態度と同じでである。このことを私は決して倫理的な踏み絵として持ちだすのではなく、このような重層的な手続きなしには国家権力の構造に沿って、二つの体制圏をつなぐ斜面をなだれ落ちていく危険があると考えるのだ。
十年前の体験をもたない人も、現実を科学的=主体的に変革するための保証は何か、という問いをさまざまな活動を最大限に展開しつつ自らに課することによってこの〈体験〉を共有するのである。私が〈ハンガリー革命〉を一回性の事実としてではなく〈関係〉として、すなわち、これからも生起しうるものとして語っていることはいうまでもない。
次に〈六甲〉をはじめてみるまなざしでとらえるとは、どういうことか。今年の春以宋、神戸大学の学生諸君十数名によって制作されてきた映画〈六甲〉が完成に近ずいている。いや正確にいえば〈未完成〉に近ずいている。私たちはまもなく、その映画をみることになるだろうが、必ず、いままで自分のもっていた六甲のイメージが動揺するだろう。この映画は地理的空間としての六甲に陶酔した作品ではなく、六甲の空間を歪んだまま提示し、それによって私たらの意識の歪みをとりだそうというねらいをもっており、たとえば次のようなナレーションがひびいている。
風が吹く。六甲が揺れる。
その複数の揺れの中に
六つに割れた神戸が姿を現わす
私たちが、複数のことなった〈六甲〉のイメージをもつことは世界の構造の歪みを暗示しているのだ。
そして、このことは制作者たちが、さまざまの重要なことばを発音するとき、ある〈恥しさ〉をかんじはじめていることと無関係ではない。この映画がとらえているのは風景だけではなく、撮影の活動をしているものが撮影されていたり、シナリオを批評する手紙が朗読されたりする。タンポポの綿毛の間から突出する巨岩=油コブシ、そして制作者たちの味わった〈不安〉や〈不快〉も重要な登場者である。
映画〈六甲〉は、実をいうと私が雑誌〈試行〉に連載している散文〈六甲〉と無関係ではない。しかし、私は映画の制作について指導はしなかった。残念ながら資金カンパも。私がいなくても同じ問題意識によって何らかの表現をつくりだす段階に近づいていたのであるから。ただ私がうれしく感じたのは、私が個人的な表現の場で模索するときの位相と、集団が、さまざまな技術をはじめて使用し、経済的制約に苦しみながら表現していくときの位相を比較する機会を得られたことである。映画〈六甲〉は私たらが、未踏の、複雑な現実過程を変革していくときに出合う困難を、この〈美しい〉六甲空間の中で萌芽的にではあるが先取していると考えられる。もちろん、その萌芽を私たちの一切の苦闘と結びつけ、時間の中へ組織化していくためにはこれからの持続的=飛躍的な努力が必要である。
ともかく、このようなフィルムからこぼれ落ちる何ものかを〈制作者〉がみるために映画〈六甲〉は制作されてきた。一方〈観客〉としての私たちも、映像の未完成の領域を想像力によってとりだし、対話し、論争し、その領域をどこまでも下降していくとき、〈六甲〉の登場者として〈六甲〉をつくりだす問題に入っていくことになる。
〈ハンガリー革命〉が含む戦車のような重さと、〈六甲〉が含むタンポポの綿毛のような軽さーーその婚姻のときが迫っている……と私はふと考えてみた。革命者と制作者は、互いに結合されつつ論じられているとは知らずに存在しているとしても、私にくふと〉そのように考えさせる力が〈ハンガリー革命〉にも、〈六甲〉にもあることは確かなのだ。両方を結ぶ関係~共通点をあげてみよう。
○ 固有の時間、空間に規定されながら、それによって逆に、普遍的 な時間、空間へ出ていく契機をつくりだしている。
○ 敗北、未完成という事態が、そのために一層あきらかに、状況や 存在の危機を告発している。
○ 意識の平衡が転倒するほど現実過程の中でたたかい、模索してい るときに、はじめて手に触れてくる。
○ はじめのヴーンョンが、何かの力によって、みるみる変移して自 分を追い越していく怖しさを当事者に与える。
○ 対象を変革する(表現する)だけでなく、変革する(表現する) 方法そのものを対象の中に加えていく必要を感じさせる。
このような関係=共通点の確認は、私たちに何をよびかけるのであろうか。私はその声を次のように聞く。
局所的地名としての〈六甲〉を、この世界のどこの場所と置換してもよい。ただ〈ハンガリー革命〉的な発想と最も遠い距離にある〈六甲〉は、そのくおくれ〉を逆用して現存するすべての思想―組織を最初にのりこえて行く光栄を可能性としてもっている。
また、現代史の時間の構造にくいこんでいる〈ハンガリー革命〉をどのようにささやかな情念のざわめきと置換してもよい。私たちは、生ぬるい怠惰な世界の中で極限まで生き抜こうとするとき、一瞬ごとに〈革命〉と触れ合うことになるのだから。
つまり、現実から逸脱しているようにみえるこの〈幻想性〉は、世界最初の反戦ストや新しい創作理論や、やさしい愛などと、必ずどこかで交差し、それを支え、おしすすめているのである。
ここまでかいてきたとき、はじめて巨大なテーマ群が、はっきりとみえてきた。この小論は、それらの巨大なテーマ群(例=仮装組織論、不可能性表現論、情熱空間論)を引きずり出すための媒介となっていることに、いま私は気付いている。しかしながら、よく考えてみれば、これこそ、まさに〈ハンガリー革命〉や〈六甲〉が無意識のうちにもっている存在の様式に他ならない。
(松下昇) 1966年11月
(『松下昇表現集』 p10-12)
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