ブレヒト『処置』の問題


    統制合唱隊
進み出よ! 汝らの働きは成功し、この国にも革命が行進し、戦士の隊列もととのえられている。
我々は汝らを承認しよう。

    四人のアジテーター
待て、いわねばならないことがある。
一人の同志の死を我々は報告する。

    統制合唱隊
かれを殺したのは誰か。

    四人のアジテーター
我々がかれを殺した。
我々はかれを射殺し、石灰坑に投げ込んだ。

    統制合唱隊
かれは汝らが射殺するに値するどんなことをやったのか。

    四人のアジテーター
しばしば正しいことをおこなったかれは、数回の誤りを犯し、結局かれは活動を危険に陥し入れた。
かれは正しいことをなそうとして失敗したのだ。
我々は判決を要求する。

    統制合唱隊
事件がどのように、いかなる理由で起きたのかを示せ、そうすれば汝らに我々の判決を告げよう。

    四人のアジテーター
我々は汝らの判決を受け入れるであろう。

 ブレヒトの教訓劇「処置」 (”Die Massnahme“ 一九三〇年)は、このような導入部によって開始される。 ミステリーが殺人の発生を冒頭におき、それをめぐる多くの仮定推理の末に犯人を指摘するのとは全く逆に、ここでは、まず殺害者が登場し、行動を再現することによって殺害の理由を示し、判決を要求するのである。 「処置」は、「試み」第四号に入っているが、その前後に発表された第三号の「三文オペラ」や第五号の「屠殺場の聖なるヨハンナ」に比較すれば、その紹介や上演は極めて少ない。 その理由のIつとして、党規律の厳格さを扱ったこの作品が、政治主義的あるいは人間主義的立場からは評価しにくく、一種の当惑から避けてしまうのであろうことが考えられる。 このことは逆に、「処置」の中に、ブレヒトの表現の連続性を支える思想的=方法的な問題点が含まれているのではないかという想像を生むのである。

 表現の特徴に留意しながら筋を追ってみたいと思う。

一〇六五行から成る「処置」は、権威の所在を示す数十人の統制合唱団と、アジテーターを演ずる四人の独唱者(男三人、女一人)による劇的カンタータである。 音楽はハンス・アイスラー、初演は一九一二〇年十二月十一日、大ベルリン労働者合唱隊によっておこなわれた。  一九二〇年代の世界革命が進行している状況が、この劇の背後にある。 モスクワから中国へ潜入しようとする四人のアジテーターは、国境直前の党委員会事務所で、一人の若い同志に案内する任務を与えた。 この若い同志は、アジテーターの一人によって演ぜられる。 かれらは非合法活動を開始するにあたって仮面をつける。 仮面の使用は、ブレヒトが他の作品でもおこなっている疎隔化の一方法であるが、ここでは前衛党員の均質性、没個性をも示し、それは、劇の後半で、若い同志が指令に反逆する際、仮面をはぎとり破り捨てる行為によって強調される。

    語れ、けれども    語り手を隠せ。
    勝利せよ、けれども    勝利者を隠せ。
    死ね、けれども    死者を隠せ。
   (統制合唱隊による「非合法活動の賛歌」から)
 

上部からの論理は、「……せよ、けれども……」という形で下降する。 下部のアジテーターは “Ja” と受け入れるだけである。 一方、アジテーターは、若い同志のいくつかの質問には “Nein” の一語で答え続ける。

 中国への潜入険、若い同志は、非合法活動において、四回の誤りを犯す。 一、米を運ぶ舟を引くクーリーたちの苦しみを減らすために、足の下へ石をしく工夫を教え、かれらの反乱を遅らせた。 二、工場でビラを配布した際、無実の労働者が配布の容疑で捕えられるのを黙視できず、その警官を襲撃し、アジテーターたちを追求の的にした。 三、帝国主義との斗争で武器を調達するために、民族資本家と交渉した時、相手の愚劣さに腹を立て、交渉を挫折させた。 四、餓死に瀕する失業者を見て、時期尚早の蜂起へ突入し、党の指令と活動を破壊した。

 ブレヒトは、感性的な政治活動が引きおこす危機を、かれなりに四つの型に分けて構成しているが、ここには、一九二〇年代におけるドイツ革命の敗北や、中国革命の迂回も間接的に影響していると考えられる。

 四つの誤りが報告の形式で演技される度に、アジテーターと統制合唱隊の間で討議がおこなわれ、後者の “我々は了承した” ということばと共に次の場面へ移る。 舞台の上には、四人のアジテーターだけがおり、かれらが交互に、クーリー、監督、工場労働者、警官、実業家、若い同志を演ずるのである。

 さて、蜂起の最中、アジテーターたちは、官憲の追求から逃がれるために、すでに正体を暴露してしまった若い同志を消してしまうことを決定する。 若い同志も、しばらく沈黙した後、この処置を了承する。 そこで、アジテータ‐たちは、かれを射殺し、石灰坑に投げ込む。

 統制合唱隊は、以上の報告を演技によって示され、 “汝らの処置を了承する” という判決を下す。 最後の合唱の部分は、イタリック体で印刷されてあり、次の二行を含んでいる。

けれども、汝らの報告は又、我々に示している、どんなにか
世界を変えることが必要であるかを。

 この教訓劇の評価において特徴的なことは、ブレヒトが結末において若い同志を死に至らしめているという点に関して論議が集中したことである。 しかも、政治的立場によって正反対の評価がなされた。 ブレヒト自身は、死後に出版された戯曲集第五巻に入っている「教訓劇についての註」で次のようにかいている。

 「作者は、「処置」の上演を許すことは、それから学ぶことができるのは、若い同志の俳優だけであり、かれも、それ以外に、アジテーターの一人を演じ、統制合唱隊に参加した場合にだけ学ぶことができるので、何度も拒否してきた。」

 ここから、教訓劇という形式を媒介として作者の意図、作品の構成、上演の効果が、どのような偏差を生むかという問題が出てくる。 この問題を追求するために、まず論議の焦点である “組織の中の死” から入っていきたい。 そして、ブレヒトの「処置」は、ドストエフスキーの「悪霊」、サルトルの「汚れた手」との対比において検討すべきであろう。 それは、これらの作品によって表現されている思想状況が、それぞれ典型的な意味をもっており、同時に、革命組織の論理究明が、三者の創作契機になっているからである。

 ドストエフスキーは、秘密結社のオルガナイザー、ネチャーエフによる同志惨殺事件に衝撃を受けて「悪霊」(一八七一年)をかいた。 かれは、憤激のあまり、最初は、作品の構成が犠牲になるのを覚悟して、パンフレット式の読物を作ろうとしたが、創作過程において巨大な小説へ転換させた。 ネチャーエフを映した人物ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーは徹底的に戯画化されており、そのためドストエフスキーは、その後長く反動的作家として非難された。

 サルトルが「汚れた手」(一九四八年)をかいた時期は、かれが労働者階級の自由の回復を考察し始めた時期と重なっている。 暗殺者ユゴーの行動には、目的と手段の矛盾が、政治参加に先立って解決されるべき問題として提起されており、又、権力につくための党の論理を描くサルトルのペンの裏側には、帝国主義戦争と反ファシズム斗争の現実が付着している。 この作品に関しても、さまざまな評価がなされている。

 ドストエフスキーとサルトルは、 “組織の中の死” を、どのように表現したか。 「悪霊」のピョートルは、五人組の仲間の一人を密告者に仕立て、かれを殺害することによって組織の連帯性を強化しようとする。 「尤も、諸君の御随意に行勤し給え。 もし諸君が決心しなかったら、この結社はこなごなに粉砕されてしまうのだ。 それもただ諸君の反抗と、裏切が原因なのですぞ。 ……どうか僕が諸君にしっかり結びつけられてる、などと思はないでくれ給え……尤も、そんなことはどうでもいいや」(米川正夫訳)ドストエフスキーは、この事件を契機として暴露された状況の腐敗を、ルカ伝第八章の引用によって弾劾し、かっての自由主義者スチェパン氏に次のように告白させる。 「……私たちはみんな悪霊に憑かれて、狂い廻りながら崖から海へ飛び込んで、溺れ死んでしまうのですJそして、その後、「永久に愛し得る唯一の存在」としての神が、ロシアを高みから照らすにちがいない、とドストエフスキーは確信している。

 「汚れた手」において、サルトルは、かっての暗殺者ユゴーが “回収可能” かどうか判定されるために、以前の事件を説明するという構成を与えている。 党指導者の一人、エドレルは、政策上の対立のため、ユゴーの手で暗殺されるが、その後の政策転換のため、暗殺の意味は逆転し、ユゴーは危険人物になる。 外部から見たユゴーの価値は逆転するけれども、ユゴーは自らの殺人と、エドレルの死に固執し続ける。 「エドレルのような人間は、偶然によって死にはしない。 彼はその思想のため、その政策のために死ぬ男だ。 自分の死に責任を持つべき人間だ。 もしぼくがみんなの前で、あれはぼくの犯罪だと主張し、ラスコーリニコフという名をもういっぺん要求し、必要な償いをすることを承知するなら、そのとき彼は、彼にふさわしい死にかたをしたことになるんだ」 (白井浩司訳)劇の結末で、エドレルは、「回収不能だ」と叫んで粛清される道をえらぶが、ここにサルトルは、実存的論理における暗殺と、政治的論理における暗殺のくいちがいを示している。

 ドストエフスキー、ブレヒト、サルトルの作品系列においてとらえられている組織の論理にまず注目したい。 ドストエフスキーは、萌芽期の社会主義秘密結社における権力意志の根元をえがき、ブレヒトは世界革命のプログラムが進行する際の規律違反者の処置をえがき、サルトルは、権力奪取前の派閥力学から個人的投企がはねとばされる関係をえがいている。 更に殺害者について考えれば、「悪霊」においては、共犯者の思想内容は多種多様であり、正反対の場合すらある。 「処置」においては、組織構成員の均質性と論理の一方交通性が特徴的である。  「汚れた手」においては、暗殺者と並んで、被暗殺者にも力点が置かれ、論理的優位性を示す瞬間さえある。

 以上のように、三つの作品のテーマは、それぞれの歴史的状況に支えられた連続的な独自性とでもいうべきものをもっている。 その場合、政治的論理は、創作過程に至る必然的契機をどの程度はらんでいたであろうか。 ドストエフスキーは、 “組織の中の死” を契機として更に多元的なテーマに進んで行き、ニコライ・スタヴローギンを生み出し、サルトルは、ユゴーやエドレルをえがくことで、逆に自らの意識に何ものかを加えて『弁証法的理性批判』にまで至っている。一方、ブレヒトは、「処置」をかいた年に共産党へ入党し、党の論理を教訓劇に仕立てたのであるが、奇妙なことに、このテーマはブレヒトの他の作品のテーマと断絶しており、 “組織の中の死” を再び正面からとらえる試みはおこなっていない。 その理由として、ブレヒトは、「処置」において “組織による死” をテーマに選んでいなかったのではないか、ということが考えられる。 ドストエフスキーやサルトルにとって、芸術が主体的関係であるのに対し、ブレヒトは、芸術を客体的関係としてとらえていた。 ここにブレヒトヘの誤解と、ブレヒトの芸術的孤立の原因があるのではないか。

 ブレヒトが、この教訓劇によって提起したかったのは、党規律はいかにあるべきか、という問いであったはずである。 しかしながら、この作品は、発表後から現在に至るまで、正反対の評価の深淵に宙吊りされたままである。 一方では、スターリンの粛清裁判を予言するものとして、その射程有効性を高く評価され、一方では、政治的に有害であるとして上演を不可能ならしめられている。 この双方の評価は、共に、ブレヒトの作品の意味を結末通りにとらえていること、また、政治的基準を介入させていることによって二重に誤っている。 「処置」の評価は、一、効果を生む全体的構成が、どのような創作意図から出発しているか、ニ、それが、かれの創作理論の方向においてどのような位置をもつか、のニ点においてなされるべきであろう。

 ここで、ブレヒトが、この教訓劇に、カンタータという形式を与えているのに注目したい。 劇と音楽の新しい結合の可能性を模索していたブレヒトは、「三文オペラ」においても “美食的オペラ” に、社会的、意識的な機能をもたせようとしているが、「処置」の場合にも、カンタ‐タ形式において状況の関係を明確にし、教化に役立てようとする意図がうかがえる。 カンタータは、オペラと共に十七世紀初頭に現われた形式であり、ブレヒトは、このバロック期にみられた、対位法への反対、自由リズムによる実験的な言語解釈という特徴を、自らの試みへの手がかりにしたのであろう。 アンドレ・オデールによれば、「カンタータは、いくつもの部分からなる抒情的場景である。 これは演奏会あるいは教会用のものであるから、正確にいえば劇的動作を含んでいない。 ……伝統的カンタータについて次のようにいうことができる。 即ちそれは一つ一つ別々になった多くの形式を組織しつつ、一つにまとめた複合形式であるJ (吉田秀和訳)このカンタータ形式は、ブレヒトの実験的な試みを助けたであろう。 「処置」をかいた時期のブレヒトは、V効果、叙事詩的演劇論を中軸とする創作理論を構築しつつあった。 一例として、ブレヒトが現在までの戯曲的形式に対して叙事詩的形式の対比表を作っているので、かれの主張する項目をふりかえってみよう。 そこには、「物語りつつ/観客を観察者にし/その能動性を喚起し//決断を要求する/世界像/観客は筋に対置される/論証/感動が認識へ駆り立てられる/観客は対立し学ぶ/……」という項目が並んでおり、いずれも「処置」の創作意図と一致していると考えられる。 同時に、ブレヒトは、演技者と観察者の意識を、流動的に客体化しておく方法=疎隔化効果(Verfremdungseffekt)をつくり出そうとした。 「処置」の註にも次のような意見が付け加えられている。 「劇の進行は、簡潔で、無味乾燥でなければならないし、とくに活気とか、 “表現ゆたかな” 演技は余計である。 演技者は、事件の了承と判決を得るための四人の動作を示すだけにしなければならない。 ……上演する者(合唱隊と演技者)は、学びつつ教えるという任務をもっている。 ドイツには、五十万人の労働者合唱隊員がいるのだから、合唱する時に何が生ずるかという問題は、聞いている時に何が生ずるかという問題に劣らず重要である。」

 次に作品の構成、筋の設定を分析してみる。 「処置」は、四つの誤りの再現を、報告の過程の中に含んでいる。 ブレヒトは、かれをとりまく政治状況から一定の影響を受けながらも、かれが誤りと考える一般的な四つの型をフィクションとして設定したのであろう。 この四回の誤りを報告するために、四人のアジテーターが必要になったものと推定することができる。 そして、事件に関係する全ての登場人物を、この四人で代行することによって、報告の密度が一層高められた。

 このような構成、筋の設定は、基本的には、かれの初期創作理論の展開線上に位置するけれども、意図と構成、構成と効果の間には、明らかな偏差が生じている。 ブレヒトが、効果を重視したために、状況を反映する構成よりも、効果を生むための構成を選んだことは当然である。 この視点から見れば、「処置」は、それと同時期にかかれ、共に「試み」第四号に入っている「然りをいう者」、「否をいう者」と極めて類似した構成をもっているのに気付く。 言葉や文体の簡潔さ、病気に倒れて旅を続けられない者を殺すかどうかの問題、登場人物による疎隔化された対話、合唱……。 しかも、「然りをいう者」と「否をいう者」は、筋において同一でありながら、結末が正反対になるという逆転関係を示している。 従って、この対比から、「処置」においても、逆転した結末を予想することは可能であろう。 『場』の変換の可能性を示すことが、ブレヒト理論の基本なのだから。 しかし、 「然りをいう者」と「否をいう者」に関しては、ブレヒトが、相互の結末と正反対の方向へ観客の想像力を導こうとしているのに対して、『処置』の場合には、筋を想像力によって逆転させようとする意図と、ある論理を教化しようとする意図が分裂している。 「処置」の後でかかれた「母」 (原作ゴリキーでは、後者の意図が統一的に働いているのに、「処置」では、双方の意図が、奇妙な共存関係を保っているのである。 ブレヒトは、ここで、若い、未熟な、惑性的な活動家を否定させ、より権威的、理性的な党論理を肯定させようとしている。 結末において、若い同志が殺されるのは、この効果を促進させるための手段であって、ブレヒトの本意ではない。 かれが、粛清を予知したと評するのは逸脱であると思われる。 かりに、予知した、とみるためには、下部組織からの公開的報告を、上部組織による秘密な処置に “逆転" し、その誤りの系列を、年齢に関係ない、本質的な組織論の問題に “置換" 操作が必要となる。 これは外在的解釈であり、作品の構成に含まれる完結性を破壊してしまう。

 このような、意図→構成→効果における偏差は、ブレヒトの政治参加=共産党入党と創作理論の構築が、同時期におこなわれたことに起因する。 「処置」においても、統制合唱隊が「ソ同盟への讃歌」、「党への讃歌」が、カンタータ形式でアジテーター達の対話を覆い、ブレヒトが、たとえ自己の理念におけるヴィジョンとしてであれ、当時の革命勢力と前衛主義を肯定していたことは明らかである。 この作品の最後で、統制合唱隊は、処置を了承しながらも、先にのべた二行を付け加えているが、ブレヒトによるこの補足も、 “組織の中の死" は、資本主義体制が存在する限り止むを得ないから、死を免れるためには未熟さを脱せよ、という教訓を必然的に導く。 「処置」を一つのミステリーと考えれば、若い同志を殺したのは、ブレヒト自身ではないだろうか。 ブレヒトが確信していた芸術の政治的有効性という基準からみれば、「処置」は、教化に失敗したのと同じ理由により、同じ程度だけ、粛清を生む政治的論理の暴露にも失敗している。 かれは、極端に相反する評価に接した時、微笑しつつも当惑したにちがいない。 “組織の中の死" は、「処置」のテーマではないのだから。 だが、そのためにブレヒトにおいては、ドストエフスキーやサルトルにみられたような、他作品への思想的連続性が断絶する。 一方、大衆が自己のおかれた関係と、その可変性の認識へ到達することを意図した方法そのものは、いよいよ独自の成熟を示して行く。(『松下昇表現集』 p10-12) けれども、晩年に、「未熟な、感性的な規律違反」ではなく、革命運動の再検討を迫る事件−−一九五三年の東独警動−−が起きた時、かれは、自らの方法そのものから糾弾され、次のような詩を、ひそかにかかなければならなかった。

 「悪い朝」

昨夜私は夢の中で、何本もの指が私を指すのを見た
まるで癩病の者を指すように。それらの指は節くれたっていた
それらの指はねじ曲っていた。
知らないんだ! と私は叫んだ
罪を自覚しながらも。

 では、ブレヒトの「処置」をとり上げることは、作品系列におけるテーマの孤立、相反する評価の誤りを指摘するだけの意味しかもたないのであろうか。 この作品には、教化を目ざしてはいるが、その意図を越えて、重要な方法上の試みがおこなわれている。 そして、この方法が思想的に極限まで追いつめられず、孤立していることが本質的な問題になってくるのである。 ブレヒトは、「試み」第四号への註で次のようにかいている。 「四人の演技者の各々は、一度は若い同志の所作を示すべきであるし、従って、各々の演技者は、若い同志の四つの主要場景のうちの一つを演ずるべきである」この註と、戯曲集第五巻への註を比較すると、ブレヒトは、「処置」の上演を主張する時にも、拒否する時にも同一の理由を持ちだしていることが分る。 これは、政治主義的解釈に対するブレヒトの自己防衛的なアイロニーであろう。 しかし、より重要なのは、かれが作品において、若い同志の役を、四人のアジテーターに、次々と交代に与えているという表現方法そのものである。 この表現方法は、特定の個人ではなく、組織内の全成員が、 “自己の中の若い同志" を殺してしまうことを意味しうる。 ブレヒトは、その意味を、自己の理論や教化の視点から把握するように、即ち、一人一人の演技者が、感性的未熟さを捨て、理性的な党の論理に入って行く過程を把握するように要求したのである。 その場合かれは、感性的→理性的という変化は意図したけれども、その変化が次々に循環して行く関係をそれ以上追求しなかった。 従って、役を循環させ、自己の教化方向を貫徹させることによって、役を循環させる力が何から発しているのかの問題を深化させ得なかった。 しかし、ブレヒトの表現方法は、政治的関係の極限におかれた存在が、無意識的に、ある力のために循環しはじめることを暗示し、それゆえ、我々の表現方法や思想への示唆を含んでいる。

 本来、主体的関係である芸術を、ブレヒトは自己の資質と政治的立場から、可能な限り、客体的手段として提出した。 表現における美の一つである喩は、かれの場合は、作品全体が社会的存在をに対する喩となり、矛盾を感じうる能力としての想像力を刺激することによって、社会的存在と芸術の分裂を限界提示したのである。 ブレヒトの方法のうち、たとえば、ここでとり上げた循環方法は、我々の自己史の重量を対象化し、その無意識的な、抗い難いようにみえる循環の突破口を、表現の上で先取する道を与えるかもしれない。 その時、この創造過程は、手段であると同時に目的になるであろう。 ブレヒトの方法は、有効性の立場から導かれたために、いわば思想的に固定されたまま、その影を未来に落している。 逆説的にきこえるかも知れないが、我々が、芸術の政治からの自立を確認するためには、ブレヒトの声なき呻吟を聞き、又、自らも混迷の季節に呻吟する必要があったのだ。 そして、さまざまの死者たちのために我々の口からもれるこの呻吟こそ、我々の内部意識を変革する形象を生み出すであろう。

    (松下昇 神戸大学『近代』36号 1964年8月)
(『松下昇表現集』 p134-143)


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