2010-09-06
■ 「松下昇とキェルケゴール」という本
Tさん
お返事が遅れすみませんでした。
どう応接したものか迷いがあったのですが、
受け取らせていただきます。
①<現在>において闘争の現場は存在するか。
②その闘争の<現場>に松下昇の表現は応用し得るか。
どちらももはや不可能である。
という箇所に私は強い違和感を持ち、
「①双方の存在様式の変換を同時におこなうことの自発的な相互確認、②それを維持〜発展させる回路の共同創出」
をお経のように繰り返すという立場を取ります。
しかし実際、現場、職場や家庭においてそれを展開できなければ
言葉だけで高本批判は成立していないことになります。
細部について及びその根拠である、高本さんにおける(私)と近代理解
について、またメモを提出したいと思います。
お元気で。
野原こと