2009-06-28
■ 魯迅における〈循環〉
第1回目のセミナーは4月28日に行われた。"Forgetting As Memory: The Politics of Time and Experience in Lu Xun's Personal Recollections"というタイトルのもとこのセミナーでは、魯迅の記憶をめぐるあらゆる叙述を分析することを通して、西洋とは異なる東アジアの近代化の問題を議論するものであった。モダニストとしての魯迅の記憶の記述を読み直すことを通して、非西洋のモダニズムを再定義することを試みた。張先生によれば魯迅の記述における記憶には三つの層、構造が見られ、それら全てが互いに調和的な循環を繰り返しているとされる。
一つ目の記憶は、忘却することの不可能性というもので、自発的な記憶voluntary memoryであり、人間の経験や苦難などへ強制的に向けられた闇へのまなざしとも言えるものである。二つ目の記憶は、負荷や重みを持って自らの意志を超えて急に過去が引き戻されるような、プルーストの記述に見られるようなinvoluntary memoryであり、記憶しておくことの不可能性である。この構造において記憶は闇からのまなざしが自らのもとに回帰してくる。三つ目の記憶は、記憶の中の記憶memory in memorialであり復元不可能な記憶である。欠如や空虚といった実体のないものによって規定される魯迅の本質は他のモダニストとは異なるものだ。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/06/report-zhang-xudong-seminar-se/