松下昇~〈 〉闘争資料

2008-11-08

六甲2章 前半部分

六甲2章 前半部分を少し書き写してみた。(http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051114#p3

 宙吊りにされて、飢えている「私」がいる。この「私」は 〈私〉たち と表記され、単数の〈私〉たち であるとされる。*1

 わたしたちとは何か。首都の戦いに破れつかれ果てて帰ってきた男。神話的物語ではなくリアリズムとして。わたしたちという規定は60年安保闘争で刻印され持続する。

首都という戦いの時間から 六甲というまどろみの空間へ・・・


 わたしの意識はむしろ戦いとその後の分裂の過程で歪み傷つき変色しているのだが、眼前にある山系が美しくわたしの無意識に浸透してくるときふと、山系という交響曲がわたしたちの矛盾の総体と呼応しているのに気付く。これが〈六甲〉 〈私〉たち の発生だ。

 山というものを数学的に抽象化すればピラミッド三角錐、四角錐)になる。自己と世界の不整合を、外部的ピラミッドと内部的ピラミッドのズレとしてとらえること。ズレは4次元空間において適切な変換をすればかんたんなものに還元できる。

 絶望〜自己解体からくる外界の自己への雪崩込みを、松下はイメージ形成力と数学的空間への転移により以上のように捉え直す可能性を見出した。

*1:どこにいようと時間を失った〈私〉たちは、沈黙してまどろんでいるうちにずり落ちてしまい、見知らぬ空間へはなればなれになった〈私〉たちをみつめ合う。それゆえにこそ、これを書いているのは単数の〈私〉たちである。