Hatena::Groupfrom1969

{構成リスト}に関する註

{構成リスト}に関する註

{構成リスト}に関する註

~1978・9・23~

{自主ゼミ}実行委員会 気付{松下 昇~未宇}

 この{パンフ}における<資料>の構成は,1978年3月段階で基本的な構成を完了していた。それぞれの配列は,時間順によってではなく,関係性の流れに応じてきめていこうとした。とはいえ,それらは固定したものでありえず,{私}たちは,構成リストを作っていく過程が,<資料>から最も遠いどこかへ{私}たちをつきうごかしていく媒介となることをめざしてきたのである。その意味から,<資料>群は,次の三つの位相の複合としてとらえることができる。

1.制度上の自主ゼミ参加者に対する提起と反応。

2.<資料>群のそれぞれの出現にかかわった主体~問題にかかわり続ける人に対する提起と反応。

3.この{パンフ}を企画する人~それを必然とする情況に対する提起と反応。


可視的には,次のようなテーマを媒介に構成されている。


   なにかのはじまりを告げる<資料>


   戦後の掲載拒否例に関する<資料>


   <ドイツ語>~が審理される公判の<資料>


   表現過程の審問情況性に交差してくる<資料>


   三一書房企画の<ドイツ語の本>作成過程の<資料>


   三一版<ドイツ語の本>の流通過程にひきよせられる<資料>


   正本<ドイツ語の本>の巡礼過程が単位を媒介に出会う<資料>


   拡大自主ゼミに関する<資料>


   ~拡大自主ゼミ~の拡大性に関する<資料>


   {卵}~{ハンカチ}を比喩とする<資料>


   {  }公判の上告~再審請求過程の<資料>


   {時の楔}企画を媒介する<資料>


   <占拠中のゼロックス室>にかかわる<資料>


   <資料>からはみ出し,かつ,めぐりあいつつある<資料>


   ・・・・・・


 前記のテーマの下に,それぞれ数十の表現が含まれ,相互に関連を明示してある。{時の楔}レジュメにも記したように,これらの<資料>は,1977年10月から,1978年3月までの<6>ヵ月間に対象となった基本的な表現である。その位置を,現在どのようにとらえなおしていくことが必要であるか,を考えてみよう。

 {自主ゼミ}の活動が,とりわけこの期間に,これほど膨大な表現とかかわりをもったことへの驚きが,まずある。それらを構成し,開示し,応用しなければ,個々の表現に内在する生命が死滅しかねない,という切迫感もより深まっている。それは,個々人の主観というよりは,なにかの声,としてそうなのであるが,一方,それを引きうけ実現して行く条件は{0}といってよい位である。先述の<6>ヵ月間以降の<6>ヵ月間,この問題の重さが増殖する<資料>と共に{私}たちを圧倒し続けている。しかし,この問題は時間をかけて解けばよい,という位相にはなく,いわば時間性との格闘をふくめて実現されない限り,意味を失う性質を帯びている。

 ここで{私}たちは,具体性としての<資料>に出会う方法を,レジュメにのべた水準で確保しつつ,時間性との格闘の総体的な手ざわりとして,いま{あなた}が目にふれている位相でも出現させることを決意した。そして,この試みが無数にありうる{時の楔}プランの一つの不可欠の構成要素にしかすぎないことも自明である。<しかすぎない>存在が,全世界を変革しうることがあるし,それを{私}たちは目指すけれども,{あなた}方の共闘なしに,実現はしえない。

 {時の楔}パンフの出現は,何をいかにうみだしうるか。その一つの具体的ヴィジョンは{時の楔}通信(仮題)の構想である。今回のパンフに掲載しえないものを,必要に応じて少しずつでも持続的に掲載し,その<資科>が現在的にもっている意味に{註}を加えつつ,表現を生かす場の創出に応用していく。前述した構成リストは<6>ヵ月間に出会った<資料>であるが,これを1974年以来の制度と交差する{自主ゼミ}過程,さらに大学闘争以降の全ての<資料>に深化~拡大していきたい。この時間性の幅は,過去にではなく,未来へこそ飛翔させるためにさしのべられている。{私}たちはこの場合,<資料>の内容のみならず,出現や運動の経過をふくむ表現過程総体を対象化していく,という原則をつらぬくつもりである。

 なぜ、このような原則が要請されるのかというと,たとえば,1969・2・2の<情況への発言>は,それがたんに掲示板にはられたという契機をもつだけであるにもかかわらず,その後のバリケード情況,処分~起訴~公判過程にもつ意味は,決して単なる掲載~転載によっては測りえないし,起訴状で“「く」の字形十二個”と記述されている1970・1・8の黒板上の表現は,掲載自体が{不}可能であり,その困難さとの距離をみきわめずに,<資料>としてとらえることはできないからである。これらは,断片的な例にすぎない。大学闘争の世界(史)性からみれば,だれの,どのような表現についても,その意味がどのように現在まで持続しているかを,全てのテーマ~現実構造との関連でとらえようとしない限り,ついに表現されきったとはいえない。表現されつつあるものの方向性や位置が,どのように持続~変化するか,という恒常的条件の追求が主要な課題の一つになるだろう。

 そして,ここで{私}たちが表現というとき,国家が処罰しようとする行為や,闇の領域に深く閉ざされている対的な感覚や,日常言語にさえ到達しえないまま次の世界へ永遠に巡礼したものの微笑をもふくんでいる。これらの表現のむこうにあるものに生命を与え,全ての抑圧的な関係性を破砕していくためにも,パンフ{時の楔}は,{時の楔}通信~と共闘しつつ,また,いま予測しえない表現を包括しながら,{あなた}の存在しはじめる風景へ舞い立っていくだろう。

(『時の楔 < >語…に関する資料集』 p12-15より)

   時の楔

< >語…に関する資料集


編集~発行 京都市左京区二本松町

京都大学教養

<占拠中のドイツ語ゼロックス室> 気付

{自主ゼミ}実行委員会

発行期日    ~1978・10・16~

{不}定価   {あなた}の{  }性と交換~~~


最初の頁:{時の楔}に関するレジュメ

次の資料時の楔通言 第〈0〉号 まえがき