さて、今回のテキストは時枝誠記「国語学原論・上」です。  by 野原燐

各論3章の2 単語における詞・辞の分類とその分類基礎、は「上」の最後ですが、次の3 単語の配列形式と入子型構造形式のところは「下」ですが重要なので触れるつもりです。


さて、

言語とは、「語ったり」「読んだり」する活動それ自体である。p28これは当たり前のようですが、そうでもありません。

「文字は音声言語を写しとったものだという考えは広く共有されている考えであろう。こういう考えは言語学においてもしばしば自明の前提とされているようである1。」柴田健志という人はこう書いており、「語り聞く」ことが言語の本質であり、書き読むことはその副次的写像であるべきだというドグマが現在も言語学を支配しているらしいことを知ることができます。


時枝の国語研究の基礎をなす 言語の本質観はどういうものか? 言語過程説 9

言語は、思想内容を音声あるいは文字を媒介として表現しようとする主体的な活動それ自体である。表現過程 13


言語の本質は古来の謎である 

自然科学的見方 言語:それ自身成長し死滅する有機体の如きもの 比較言語学 9

社会学的見方  言語:人間によって製作せられた一の文化財 


国語研究史にあらわれた言語觀 13


言語の研究を行う前に言語の本質を問うことは本末転倒

白紙の態度と自分で思っている態度のうちに、ある言語本質観が潜在している 5


いまある言語本質観はすべて歴史的に規定されたもの

言語:音声と意味の結合 構成主義的  / 言語は主体的活動それ自体


                • 一、言語研究の態度

学問的方法 対象に対する考察から生まれるべき 国語の持つ極微極細の現象を凝視  


明治の西欧学問の輸入 対象への考察以前に あらかじめ学の方法理論が与えられる 21


「日本語系統論」よりもっと大事問題は、たくさんある 例:支那語支那文字の国語への流入という事実  23


特殊と普遍の関係 日本語にないものは普遍でない 25

                • 二、言語研究の対象

さて、言語とは、「語ったり」「読んだり」する活動それ自体である。p28

言語は意味をもった音声であるか?

主体的活動 心的過程 具体的過程 観察者は これを追体験する

ソシュール: 辞書の言語のごときものが主体の外に実在し、われわれはこれらの語を運用するにすぎない

言語というものを研究上の便宜において、なにか客体的存在に置き換えることは許されない 32

あくまで個別的特殊的現象を直視しそれを整理する 科学 33

                • 三、対象の把握と解釈作業

甲が「花咲く」と言う。それを聞くとはその文法的意味を理解することではなく甲の意図を理解することである。34,46

甲の言語を再体験し追体験する

古典の解釈 古代語を古代人の主体的活動として再現すること 37

                • 四、言語に対する主体的立場と観察的立場 

主体的立場 :言語を思想表現の手段である 理解、表現、観賞、価値判断 39

観察者の立場:研究者の立場 口語や方言を重視


言語学の領域に属するものは音声ではなく音韻 42

音声 m,n,ng 音韻 ン 示差的性質  音韻は示唆的性質のもの:主体的立場


ランガージュ  概念と聴覚映像との連合過程 それに随伴する生理的など過程

【循行】過程 から 概念と聴覚映像との結合したもの シーニュが存在すると考えるのは誤解 というかむりやり架空の存在を作った

時枝は、主体的立場において実践され行為された言語を 直接に対象とする。ソシュールとちがって

循行過程は 社会生活によって制約せられ同一社会においては共通性を帯びる44


意義と音声の結合をもって言語を考えると 主体の存在を捨象しうる。 神保 48


ソシュール 言語における価値?? 交換価値  51


単純語と複合語 ひのきは単純語 松ノ木は複合語 現在における主体的意識に基づく(古代では違う) 53



5.

一軒の家のためには地盤が必要

言語の存在条件は、α主体=話し手 主語とは違う

β場面(聞き手およびその他)= BCDの融合

CDは事物情景、Bは志向作用

γ素材                  57


敬語 例:暑いね/暑うございますね 主体の場面に基づく変容 63

発言を聞いて理解するという意味での聞き手とは違うので注意

バイイの現場situation とは違う:素材の特定(例、眼前にいる犬)に関わる

 

素材 概念はふつう言語の構成要素と考える :ラングをシニフィアンと概念を結合させる働きと考えると矛盾しない


                • 6。フェルディナン・ド・ソシュールの言語理論に対する批判

1.ソシュールの言語理論と国語学

比較言語学、史的言語学が言語学の主流 / 革命的な転換 言語という事実そのものの研究

/ 通時言語学

\ 共時言語学シンクロニク 静態

2.言語対象の分析とラングlangueの概念

対象が方法を規定する 言語活動の中に それ自体一体なるべき単位要素を求める 79

混質的なものではなく ラングを対象にする 対象からの逃避

それ自身一体 un tout en soi であるところのラング

自然科学的な原子的構成観 ・・・そうではなくラングは「全体」である。

言語とは 聴覚映像と概念が結合するシーニュという場所  循行の一定箇所にある。 81

等質的 実在 心的なもの 主体を離れた存在(デュルケームの社会的事実) 

シーニュは二面を有する心的実在体 83

我々が具体的言循行において経験しうるものは聴覚映像が概念と連合することである。継起的精神生理的過程現象

ラングは主体的機能なくしては考えられない存在 それを実在化し物象化してしまっている

3.パロールとラングの関係について

パロール(言)は言語の実現  86   言語道具観 主体がラングを道具として利用 

言は個別的である。個別的なるものが他者に理解されんがためには、一般的なものの存在が予定されなければならない。言は言語の実現であって始めて理解されるのである。ソシュール=小林

ラングはパロルにおいてその意味が限定される ソ

個物を一般的に表現してこそ理解されることが可能になる 時枝 


家の大黒柱が倒れた。大黒柱=息子=太郎である場合。

言った瞬間に無限者が限定され、太郎になる::大黒柱という情緒的価値は無視される89

ソシュールのパロールにおいては、具体物は指示されるのか?

ある語を他より優先的に選択し使用するについては、素材と語との間にいかなる契機があったのか を問うべき


4.社会的事実としてのラングについて

デュルケーム派の社会的事実としてのラング 92

個人間の媒体 同一概念と結び付いた同一の記号

同一記号の再生という現象 めいめいに存する受容さられたものを整除するところの能力 に基づく

ソシュールはラング=認識的所産を実在と考えてしまっている 時枝  96 

乙が甲より受容するものは、物理的生理的心理的な継起的過程 

狭義では 受容するものは音だけ 意味は乙が喚起したもの

連合の習慣:ラングは その喚起のために働く と考えていいのでは?


/ ラング 頭の中に貯蔵された言語映像の総和   ソ

\ 各人間の言語映像の差別相 :個人の社会的生活、体験の相違 時枝 98 


ラングの拘束性 集団が認めた法則は各人が受容すべきものであって、自由に協約できる規則とは選を異にする 

拘束力 漢字の制限 :まるで違ったことを考えている

   規範を感じないとは規範に左右されていないことにはならない、むしろ規範を自分のものにしていること 野原

5.

ラングが主体とどのようにして交渉するのかについて、なんら明らかにされていない 102

国語研究が暗示する言語観 (国語学史をみよ)


                • 7。言語構成観より言語過程観へ 104

ラング 概念と聴覚映像 シニフィエとシニフィアン  所記と能記

継起的過程 か 結合されているのか 認知不能症や健忘性失語症


過程において不可欠なのは概念と音声 一様にして純一な対象を見出してよい 107

ラングは言語活動における継起的過程中に位置を占めるところの一部分過程である!

ラングとパロール二つの言語学が成立すると認められない 108

「ハナ」という言葉 :どのような特定の花であるかは 別の条件が必要 109

文脈によるか 言語が経験される現場によるか 限定就職語によるか


 素材 −概念−聴覚映像−音声(または文字)

 () −概念−聴覚映像−音声

(素材)−()−聴覚映像−音声:辞の場合

主体と場面と素材という3つの条件が必要 111


ラング:概念と聴覚映像の過程を平面的に構成的にみたもの 


                • 8.言語の構成的要素と言語の過程的段階  124-141

1.文字及び音声

文語を尊い、口語を卑しいとする意識への批判:ソシュール

しかし口語こそ真の言語である。なぜなら唯一の生得の言語であるから。ソ 128


文字が音声言語を写しとったものであれば、音声が包含されていることになる。113

しかし、「山」は概念「山」を表出しまた喚起する 表意文字。

シーニュ=シニフィエ+シニフィアン なのでシニフィアンのところに線の集合(文字)が入る記号学も存在余地あり。

(例 プログラミング言語は 表意記号学に従う。)

音声表象 アイウ 母音5個 子音幾個 というのは主体的立場における音声表象による 118

2.概念  時枝 言語の外に 言語=為替 為替の中に金があるわけではない。  

時枝:音声によって喚起される心的内容  概念、表象、事物そのもの 119

3.言語の習得 ソ:ラングを脳内に貯蔵する 121

言語のあらゆる場合の表現に応ずるために、いかに多量のラングを貯蔵しても足りない


4.言語に対する価値意識と言語の技術

東京の言語を自己の郷里の言語よりも優れたもの、美しいものと考える:標準語は一般方言より優位になる。 124

・・・亡びゆく言語に涙する言語学者も珍しい昆虫に熱中する生物学者同様その情熱は尊重されるべきである。しかし

言語は私たちの人生そのものである、つまり功利的実務的な言語も尊重されるべきだし、耽美的遊戯的言語も尊重されるべきだし、それ以外の多様な言語も尊重されるべきである。研究者好みの自然な言語が尊重されるべきなわけではない。(野原)

方言は国語研究上如何程重要な価値があろうとも、我々の言語生活上それが標準語と同様に価値があるとは考えられないのである。時には方言は極力撲滅しなければならない場合すらあり得るのである。128


小児が友人を罵詈するに適当な言語を見出そうとする時ですら、価値と技術の意識なしでは不可能である。

すなわち言語とは最初から主体的選別意識に貫かれたものである。主体の価値意 識および技術も表象、概 念、音声、文字と同様に言語の構成要素と考えるべきである。

本居宣長の言葉の玉の緒の研究も、てにをはの呼応の現象を研究したものであると同時に、擬古文におけ る技術の書として生まれたものである。135

国語は常に問題的存在であり、我々は不断に国語の改善を目指していなければならないことを知る必要がある。国語問題23

ソシュールも時枝も国民国家の時代に生きた。彼らの言語観は、国家語の発見と育成という位相の差に対応している。・・言語学によっていわゆる未開民族もその言語の完備性を発見され、ラングとしての対等性を獲得した。同じように方言もたんなるナマリという負性ではなく完備性として自らを発見できるようになった。マイノリティの発見である。

一切表現に関する技術的なものの背後に、価値や技術によって歪められない真の言語が存在するかの如き考え。 129 研究対象としての価値 

価値と技術によって人は言語を生きる。ブルヂュー的


人は生得の言語を持ち、価値と技術は付随的なものにすぎない。

・・ ポストモダン 資本主義によって平準化された生活様式によって人間が自明化された時代


ソシュール 文字が言語の真の姿を覆い隠す 129 典型としての 自然的言語の形成 自然/変態


文語、文学的言語 自然的言語からの歪みではない それぞれに異なった価値意識と表現技術によって成立する

口語が基準としてあってそれの歪みや追加ではない 130

文字は 表現技術の一つの結果   技術 技巧のそれぞれの特質  悲しみの表現


文字は表音文字であるべき 自然的言語の理法

自然的言語からの逸脱を 国語政策によって排除していく 

本来の日本語、それは多角形の角をことごとく削り去り円が多角形の真の姿であると考えるのに等しい。132


国語研究は国語の主体的立場を前提とする 自然な言語は幻想 133

人為の上に理法を求めつつまたそれによって人為を規定しようとする

学と術を分かつことは不自然。 しかしそれは国家に一体化した学者が例えば朝鮮に日本 語を強制することに通じていくのではないか。

辞書、かな使い、自然物の研究なのか 規範を提出することなのか

国語学は 学と術を分かとうとした 科学的独立性の確立しようと努力した 135

言語の本質が価値と技術に存する 

国学 イデオロギー批判の欠如

小林 ものとしての言語への目的意識の導入 としての言語への価値意識と技術の導入 138 

価値:話主によって行為される表現に対する話主自身が持つ価値意識  技術

価値意識及び技術 だいたい 時代ところにより統一されている 139

ソシュールの 言葉とは差異であるに対する批判

文字 漢字も差異であれば足りるのに正書法が維持されつづけている フランス語における綴も 

1点一画をおろそかにしない価値 草書という価値

主体の価値意識及び技術= 主体の過程的発展を促す処の原動力  141

                • 9  言語による理解と言語の観賞

言語による理解はラングの問題ではない

ソシュール ラングがパロールにおいて限定されるという理解

聞き手:彼自らの主体的連合作用によって 音声をある特定事物に結合して理解するにすぎない 144

例外的なシーニュ 御不浄と言う音が 便所という概念と結合しているわけではない

間に不浄という概念でそれを指すという迂回の意識が入り込んでいる 146

馬鹿な行為をさして、「お利口な事です」といったり 155

真に受けるかどうか、この区別が言語構成観では説明できない

素材ではなく、素材に対する思考の仕方そのものが表現された と考えるべき!

忌み言葉、隠語、その社会の成員がその主体的立場から言語の場面に制約せられて、直接的な言葉を避け たり他人に聞かれまいとする表現目的の所産であって 164

ラングはラングとして自立することはできず表現回路がたえず入り込んでくる

美醜快不快の根拠が言語の表出する素材には存しない 言語過程自体がが対象

美はその構成的形式において最も容易に観賞しうる。 153 リズムに刺激される身体

                • 10.言語の社会性

言語の目的  道具的 生活上の目的を実現するため 例 共感を求める

自己表現 自己の内なる思想内容を外に表す こちらが本質 159

了解を考慮するとは、場面について考慮し主体が場面に融和しようとする態度である。 160

母が子に対して自らを「お母さん」といういう様な表現、子供の世界への場面的融和的 

聞き手に対する配慮から 標準語、文法に従うことも行われる 162

言語の受授は甲乙の間に必然的に言語の平均運動をもたらし、同一音声に対しては同一事物を了解するという習慣を成立せしめる 162

    甲乙丙…に同一習慣が成立したことは各個人間に「言語」なる実体が成立したことを意味しない。cf共同幻想

ラングの外在性と拘束性は 言語に必然的に備わる主体的意識を外界に投影したものにほかならない 

人間の社会生活の存在のあり方が 同一言語過程を成立させている 

女子の言語 女子の社会に存在している言語ではなく 彼女たち主体の身分的階級的意識の表現  cf腐女子

                • 11.国語及び日本語の概念  

国語=日本語 日本語は日本語的性格を持った言語 日本民族の言語ではない 

社会生活の伸縮によって民族や国家を越えていく 多民族国家だから 166

我々の経験しうるものは国語の一部分にすぎない

日本語は個人の語彙の総和ではない。

・・日本語の特性はそれを表現する心理的生理的過程のなかにある 168

文法、リズム、アクセント、音声 外来語も日本語である

国語は国家的見地よりする特殊な価値的言語であり、日本語はそれらの価値意識を離れて、朝鮮語その他凡ての言語と、同等に位する言語学的対象に過ぎないものである。従つて国語と日本語とは或る場合にはその内包を異にすることがあり得る。() こゝから我々は又大東亜共栄圏に於ける日本語の優位といふものを考へる緒が開かれるのである。 (「朝鮮に於ける国語政策及び国語教育の将来」)昭和17年8月

                • 12 言語の史的認識と変化の主体としてのラングの概念

言語の歴史的変遷 は観察的立場からなされる

二つの現象 同一主体において共存する場合 文体 /方言的差異 /歴史的変遷 171 

音声ではなく 音韻/概念からなるラング が変遷する172 音韻の歴史

ある時代のd音が次の時代のr音に変化 聴覚映像に変化がないと考えうる 主体は変遷を意識しない 174


1章 音声論

                • 1.リズム

イ.言語における源本的場面としてのリズム

リズムは言語における最も源本的な場面である リズム的場面があって、音声が表出される 181

源本的な場面とは、舞の「型」に類する 舞は何らかの型においてのみそれ自らを実現することができる 

ロ.等時的拍音形式としての国語のリズム

刺激の周期的回帰の知覚によって生じる

アーイーウーエーオー フールーイーケーヤー  音の連呼による回帰の知覚 186

等時的拍音形式 日本語に基本的なリズム形式

                • 2.音節 リズムは音節によって具象化された形式 

アイ、オイ あるいはアー、イー、アン(餡)ホン(本) 音節理論的には一音節なのに 常識的には2音節

アッタ は常識的には 3音節 オオギ ネエサン ニュウヨオク

カタカナの文字数に引きずられている気がする(野原)

                • 3.母音子音

音饗学音声学的には母音子音は、確定的な線を画することができない 196

母音子音の区別は、音節構成における単音の結合機能に基づく概念 (悉曇学の能生音、所生音も同じ)

ヤ行子音であるi ワ行子音であるu は半母音 198

                • 4.音声と音韻

デンキ電気 デンパ電波 リンゴ林檎 のン はそれぞれ n、m、ng であると言われる 観察的識別

主体的意識における音声(いわゆる音韻)が基礎になる

音声/音韻  生理的段階と 意識的段階 の差

                  5.音声の過程的構造と音声の分類

                            第二章 文字論

                    1. 1.文字の本質とその分類

                  文字の本質は言語過程の一段階 活字も書記行為の一変形と考えるべき

                      音声または意味を表出し 言語としての機能を果たす 216

表音文字/表意文字 音声をそれによって表す/ 意味をそれによって表す 

例外: 漢字の表音文字としての使用 カナの表意文字としての使用 4ジ30

2.国語の文字記載法(用字法)の体系 表音的記載法 表意的記載法

奈良朝及びそれ以前の文献 金石文 すべて漢字

万葉仮名 −− かたかな ひらがな

表音的 天夫羅、矢張、駄目、呉々

おおむね、詞を漢字カタカナで 辞をひらがなで書くようになった。 

例:羽根=羽(ハネ) 部分的表音表意 226 白雪=ユキ 河波=川(カワ) 孤恋=コイ(恋) 

上古のつま(妻・夫)と現代のつま(妻)を同一の語と考えうるか

3.文字の記載法と語の変遷

文字は言語表現の一段階、思想伝達の媒介にすぎない

ミモノ→見物ケンブツ モノサワガシ→物騒→ブッソウ スミノエ→墨吉→スミヨシ

漢字的記載を 誤読して新しい語が成立した 234

現身→ウツセミ→空蝉→抜け殻のごとき無常空虚

4.表音文字の表意性

音義学説 ハラという音には 広がりを持った平地といった意味が宿る 235

助詞 「は、を、へ」 ある観念を表すものとして即ち表意文字として意識しているのである 236

ハ行の用言の語尾 給ふ 表音的とは考えられていない  ソバ タバコ

表音文字の表意性への移行ということは、言語としての機能が発揮されれば発揮されるほど著しくなってくる 237

言語過程は最初意識的主体的行為としてはじまりそれが習熟するに及んでは、ほとんど反射的行為に接近 し、またそのようになることによって言語の機能が完成される。237



第3章 文法 二

                  1..言語における単位的なもの

単語 語として分解の極に達したる単位(山田) 言語の概念が先にある あらかじめ措定された単位 245 「うさぎうま」 始めに単語があるという発想からはどうしても「うさぎ+うま」と考えてしまう 例:ひのき

言語過程説では、甲は1単語として経験、乙は複合語として経験する ということもありうる 251

         「光る君」:命名の当初は光輝く君と言う意味で呼んだ、予備ならされるにしたがって人物名(単語)に

言語を経験する主体から離れて客体的に、一単語か二単語か決定することはできない 258

文 もまた単位である。 主観客観の合一したまとまった思想の表現 247

                • 2 単語に於ける詞・辞の分類とその分類基礎

                • イ.詞・辞の過程的構造形式 258

単語を規定するものは体験される言語過程  ・・ラングといってはいけないか


鈴木朗 言語四種論 宣長の弟子

 詞 さす所あり 器物の如く

てにをは 辞(声)さす所なし 心の声  それを使い動かす手の如し 262

・・鈴木の思想は言語学説の未だ至り得なかった上にでている


概念形式を含む

「嬉し」など主観的情意もこれを客体化することにより

概念形式を含まぬ 直接的表現 感動詞を含む

判断、情緒、欲求など

花よ。 感動を表す「よ」は客体界を表す「花」に向き合うベクトル

「よ」に対応する客体的事実は「花が可憐だ」といった事実である。322

客体 包まれるもの

主体の包むことの表現 助詞、助動詞、零記号

寺社の如し

荘厳の如し 伝定家 268

詞辞の結合によってはじめて 具体的思想を表現できる

A is B. における「iscopulaも 辞 と考えてよい。天秤型

「彼 読ま」−「む」 風呂敷型統一形式 270  あるいは引き出しの取っ手

例 雨/が  降れ/ば  花/は  咲け/ど

零記号の例 山/が 白い/よ 山/□ 白し/□     

「雨が降る」−「□」 零記号の陳述□ が降るという語を包んでいる 273

用言ではなく 零記号□ が陳述を表すと考える  

詞+辞 でないと文にならない 文、すなわち思想の統一的表現は辞の総括機能によって可能となる(354

文節 自然的文の分解

単語 抽象と帰納の操作によって成立 278

印欧語における単語は むしろ詞辞の融合されたもの 具体性が著しい

辞 判断の表現としての「ある」の用法

に+あり =なり (駿河なる富士 の場合は存在詞)  と+あり で+あり=じゃ、だ   287

で、に、と は元来それだけで判断的陳述を表しうるが、中止的用法以外の時は「あり」と結合して判断的陳述を表す  

詞が零記号の場合  雪が降っている。□だが、温かい。

が、だから、だのに、だって、で、でも、では、ですから、でしたら 独立的に詞が省略されている 

金がない  なし は本来形容詞 詞

水は流れない 人でない 陳述を表す辞

ホ.辞より除外すべき受身可能使役謙譲の助動詞

る、らる す さす しむ 富樫広蔭「詞(ことば)の玉橋」 詞の中に属詞(たぐいことば)を設け そこに入れた。

「彼は人に怪しま」れる  受身の「れる」は「彼は人に怪しま」を総括していると考えることができない 313

へ.詞辞の転換及び字と接尾語の本質的相違

接尾語を詞と同様に取り扱うこと になんら不合理を認めない(時枝) 346

                • 三 単語の配列形式と入子型構造形式

匂いの高い花が咲いた。

(((匂い/の)高い/□)花/が)咲い/た。

主語−述語 以外の統一形式がありうるのだ

従来、物の統一形式は、殆んど対立したものの結合によって成立すると考えられていた。S−Pの形式を以って思想表現の動かすべからざる原則のように考えた結果が、従来文章法上で説かれた主語述語の関係であった。

文 思想の完全なるあるいは完結せる表現 スウィート

文はパロールに属する


ソシュールの思想

ランガージュ:能力自然は分節言語を使用できるように作られているが分節言語を最初からはもたない人間を与える

ラング   :ランガージュ能力の行使を個人に可能にすべく社会が採り入れた、必要な契約の総体 81

ラングは自立したひとつの体系<SYSTEM>である。92

価値の体系:全体との関連と、他の要素との相互関係のなかではじめてその要素の価値が生ずる 93

   アトミズムの否定 出発すべきは常に全体からであり全体は個の算術的総和ではない。

なお極言すれば犬は、狼という語が存在なくなる限りでは、狼を示すことになるだろう。したがって語 は、体系に依存しているのであり、孤立している記号などはないのである。96

箱の中で押しあっている5個の風船の絵

言語の中には 差異しかない

I saw a boy. saw/met/hit/loved 差異 連合関係

 共時言語学 シンクロニク /通時的 ある時代はある構造に支配される 

・・・同音多義、一義多語が説明できない

 聖書以来の 言語目録観の否定 日本人には関係ない

あらゆる知覚や経験、すべては言語の網を通してみる以前は連続体である。丸山 118

言葉は記号ではない。言葉は 自らの外にアプリオリに存在する意味を指し示すものではない

シーニュから自立できる観念なるものは存在し得ない

シーニュ=記号表現シニフィアン+ 記号内容シニフィエ 実質を持たない 形相(フォルム)

シニフィアンが対立関係の網の目であることは明らかだが、シニフィエはそうじゃない(野原)

ゼロ記号:(例の2) the man (that) I have seen のゼロ 時枝と一緒 136

記号表現シニフィアン+ 記号内容シニフィエ はパロールにおいて、音=観念という重いものに化ける

言語の恣意性 その1 シニフィアンとシニフィエ 自然的かつ論理的絆がない 全くないとはいえない

その2 シーニュとシーニュとの区切りかたの恣意性

ラングに閉じ込められた存在 意味はラングに内在している物が人に押し付けられる 151

ソシュール、ラングの恣意性の指摘:構造の産物である人間が同時にその構造を乗り越える方向を示唆した 153


経験主義、行動主義心理学、その影響を受けたブルームフィールド への批判


西欧の知の伝統はある不可視の位相に〈実在〉があることを前提としている。時枝が反発し たのはラングのこの形而上学臭である!