こいすちょう

 今年の元旦で良かったことは、(親戚一同でトランプゲーム大貧民をしたこともありますが)、小学生の息子二人と一緒にはじめて百人一首をやったら、訳が分からないはずのそれを彼らがけっこう気に入ったみたいだったこと、でした。子供らは毎日モンスターや敵を次から次へと倒す(殺す)ゲームばかりやっています。ゲームだけではなく、アメリカの影響の強い今日の日本文化ではそれはメジャーな意匠です。それが「テロリストを倒せ」というスローガンが受容される基盤になっていると考えてよい。それに対し、例えば「もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし」とか、闘争や天下国家を遠く離れ極私的色恋などだけにかまけていて優美を唯一の価値とする王朝文化は、反時代的だからこそすばらしい!

  1. 初詣というものは、上(国家)から奨励された結果で、大正期に一般化したものだ。
  2. 正月は、としの神(祖霊の一種)を迎えるものであり、詣るのはおかしい。(柳田国男の説)(以上二つ、あるMLで流れていた文章の要約)

 ただまあ初詣というものはごく個人的な希望を祈るものであり、そこが神社だからといって、目くじら立てるのはおかしい、とも言えます。<日本的なもの><神社的なもの>は当然明治政府の成立よりずっと古く、<西欧帝国主義的国家>である方が本質である明治以降の日本国家(その象徴は教育勅語)的なものとは全く違います。戦後左翼はごっちゃにして否定する(啓蒙=近代化主義)傾向が強いが、それを排除して考えてみれば、後者=ヤスクニ的なものは<神社的なもの>とは異質であることが分かります。

例に挙げた「桜」という記号をも軍国主義に利用した近い過去があります。日本とか伝統かいうマジックワードには多くのものをひっつけることが可能なので、ひっつけたがる人の動機をかんぐる癖を付けた方が良いでしょう。