委託
簡単な辞書をひくと「他人に頼んで、自分の
代わりをしてもらうこと」というような説
明があり、用法として「委託販売」とか「委託
加工」などが上げられている。
この概念が、ある深さと不可解さを帯びて発
語されたのは、一九七一年一一月三〇日に
〈 〉大学の学生自治組織の執行委員会がおこ
なった学生会費の〈松下昇〉への委託であ
ろう。この委託に関する深さと不可解さは、も
し、この経過〜実態が権力に明らかにされ
るならば、刑事事件として弾圧される結果を招
きかねないという不安から公然と論議され
ないことによって一層加速された。しかし、本
当は、対権力への配慮よりも、委託の根拠
や応用についての前例のなさと、対処の仕方で
自らの位置が全て問われるテーマのあり方
が相乗されて、論議しないままの真空状態が形
成されたのである。
学生自治会や労働組合の共同使用すべき金を
個人的に、あるいは政治党派の資金として
流用する例は多いし、前記の場合も、重複する
ところがあるのは否定できない。しかし、
前例のなさとして注目すべきは、
1.単なる金の委託ではなく、授業料〜課外
活動費〜〈教育とは何か?〉研究費の還元
過程の学外者への委託である。
2.大学当局が学生から金を代理徴収する制
度の廃絶〜自主管理の試みである。
3.学生自治組織としての活動停止〜〈仮装
被告・仮処分者〉団としての表現である。
という諸点である。そして、これらの諸点を公
然と論議の対象としていく方針も《宣言》
されていた。(批評集γ篇・続、および発言
集・続を参照されたい。)
散発的な異和は学内外に見え隠れしていた
が、告訴には到らなかった。権力も爆弾使用
や犯人隠秘の委託ならば強制捜査をおこなった
であろうが(実際に後者の場合にはそうし
たが)、このテーマに開しては放置してきてい
る。しかし、本当に委託の原初性が生かさ
れているかどうかは、権力の介入の有無にかか
わりなく検証されるべきであり、その準備
は委託プランが具体化した時から開始されてい
た。ただし、たんなる検証ではなく、さま
ざまな関連テーマの総括〜応用と共に展開しよ
うとしてきたために、積極的な開示が遅れ
てきた責任は〈松下〉にある。
このような視点から、〈 〉闘争過程で用い
られてきた委託という語法の検証をもおこ
なっていきたい。発想の原初性からいえば、委
託するとか、されるという場合には、双方
の存在様式の変換を同時におこなうことの自発
的な相互確認、それを維持〜発展させる回
路の共同創出が前提とされ、しかも〈大学闘
争〉に関わる全ての〈バリケード〉内参加者
の検証を受ける準備を不可欠とする。これに反
する語法は誤りの要素を持つといえる。
とはいえ、この条件がないままに実行されて
いるもので、少なくとも次の三つは、条件
を未来からワープ的に委託されうるといってお
きたい。〈 〉裁判過程(特にA430研
究室公判)における仮装証言の委託と、時の楔
通信の作成・刊行の委託と、〜
( 概念集・1 p24)
〈 〉焼き
72年の始めから、神戸大学教養部の〈 〉
広場に面する教室のガス・ストーブや机〜
椅子(絶えずバリケード構築時の材料になって
きた)を用いて店舗を仮設し、タコ焼き風
の食品等を、主人・客の区別なしに調理〜賞味
しつつ自主講座的な談論を風発させてきた
行為。批評集α篇の公文書、β篇のマスコミ記
事参照。
前記の文書からはみ出すテーマないしヴィ
ジョンを列記してみる。
1・69年からの持続としてのバリケード、
祭、解体した大学と構成員を調理する実習。
70年処分〜71年立ち入り禁止通告の実
質的粉砕。
現場に引き寄せられる消防署員、保健所
員、機動隊員(さらに検察官、裁判官)の自
主講座構成員化。対応して、〈 〉焼き現
場性の飛翔〜巡礼。
2.社会〜生活の全領域へ拡大〜拡散している
大学闘争の課題を、とりわけ仮装〜労働を
媒介して闘争の原初性回路から追求する試
み。
委託されている金やテーマを、より巨大な
交換価値〜使用価値へ変える共同実験。
3.表現論的な意味としては…
60年代の中間期は、その後ふりかえる
と、中身のない〈 〉のような感触を与える
季節でもあり、この季節に〈 〉を用い
た、というよりも〈 〉としての、〈 〉で
ある他ない表現が出現した。これを、単な
る記号とみなす度合だけ、みなし方が肯定
的であろうと否定的であろうと、〈 〉の
可能性に敵対し、頽廃させてきたが、その
責任も、敵対や頽廃と戦う責任も私にある
ことは、最初から自覚していた。その責任
の範囲をできる限り広く深く設定するため
にも〈 〉焼きを意図してきたのだ。ただ
し、この責任のとり方は、極めて楽しいも
のであることも付け加えておきたい。
70年代の中間期に、〈 〉の出現に深く
関わった人と十年ぶりに再会したことがあ
ったが。その人は、十年前には予測できな
かった動詞群と〈 〉が結合しているのが
驚きであり、十年後には更に別の品詞群な
いし、いま予測できないものとも結合=交
換しているであろうことが楽しみであると
語ってくれた。この期待に殆ど応えてきて
いないとはいえ、この批評が最大の激励で
あり鎮魂であることに変りはない。
註.前記の、特に三の〈 〉は、逆向き〜交
差〜集合論的な括弧ないし、それに関連する
記号として意識されるもの総体について
語っている。もし読者のだれかが(勿論、ま
ず私こそが)、松下 昇の全表現に関し
て、この概念集を〈 〉として把握する視点
から再検討してみるならば、その作業の軌
跡は、全く思いがけない表現論をもたらす
であろうし、もたらす時・空の関係性の根
底的な変換をも、もたらすであろう。
( 概念集・1 p25)
ストライキ
自分では記憶がないのに、ある概念について
すでに語っていることに気付いた。六九年
三月に、ある書評紙の編集部が神戸大学のバリ
ケード内の研究室にいる私に電話をかけて
きたことがあり、それが電話インタビュー記事
として掲載されていたのを、発言集の続篇
を構成する作業の過程で思い出して再読したの
であるが、そこで私は、ストライキについ
て、厳密には、ストライキという概念について
語っているではないか、まるで概念集の作
業中のように・・・
私は、要旨として次のように語っている。今
までのストライキは、ある要求を出してお
こなう、期限つきの戦術であったが、現段階か
らは、ストライキの概念を深化させて、自
己の存在形態を分裂させる機構に対する永続的
なストライキが必要であると考えており、
自分は、自己と大学当局の〈隙間〉から全階級
的な闘争形態が見えるという意味での新し
い階級闘争としての現在の情況の中で、このス
トライキを、六甲空間における表現の試み
と関連させつつ持続していく、と。
六九年二月二日付のマジック・インキで書か
れ、掲示された〈情況への発言〉の文面か
ら、労働放棄と解釈しうる箇所のみを取り上げ
て、大学が処分理由としてくるのは自明で
あるにもかかわらず、私は大学(および、それ
を支える人々)が解釈しえない〜解釈を拒
否する箇所を支える時間の質=無限性に賭けた
のであり、それこそが、いかなる困難を支
払っても追求に値いする、はるかな未知への名
付けがたい過程の特性を示すのではないか
と直感した。
とはいえ、汝のみが、一定の特権的な位置エ
ネルギーを利用してやりえた思いつきを惰
性で続けているにすぎない、という声は私に対
してありうる。この声には黙って耳を傾け
たいが、その時の私の内的な声を、あえて記せ
ば次のようになる。
それぞれの人ないし存在様式が特権ないし特
性なのであり、私のそれを不当であると判
断するのであれば、いつでも交換する。問題
は、それぞれの位置エネルギーを測定し応用
する基軸をどこに置くかということと、最初の
位置から世界を一周して元の位置ヘラセン
状にもどってくるまでに人間や社会の存在様式
の変換方法をどのように開示しうるか、で
はないのか。これについての報告が、この二〇
年の私の軌跡でもあるのだが・・・
もう一つ、乞食ではないが(いや、本来的に
乞食性は世界を一周=巡礼するために不可
欠である。)、永続的なストライキには、やり
始めると止められない楽しさがあり、それ
は例えば、祭を、規制された期間を越えてやっ
てしまう感覚に似ている。勿論、やり続け
る義務などないし、あれば、それに対してスト
ライキをすればいい。私の場合は、一番ラ
クな楽しいことをやっているうちにストライキ
を今も続けているともいえるにすぎない。
〈すぎない〉ことの原罪性の追求を忘れな
いこと、その追求を黙って支えてきてくれ
た人々の重さを忘れないこと、それが私の決し
てストライキしえない労働であろう。
( 概念集・1 p26)