1969-08-08「バリケード解除」
■ バリケード的表現
バリケード的表現
全学集会→封鎖解除→授業再開という反革命過程にぬりこめられている犯罪性は、大学の枠をこえて階級社会と人間存在のあらゆる原罪性へいきつく。
国家権力、右翼秩序派、スターリニストの見事な統一戦線を見よ。私たちは微笑しながら、かれらを出現させている世界(史)的な関係に対立し、打倒し、止揚していくであろう。
敵でも味方でもない、ある圧倒的な力によって問題提起の正しさが彎曲していくのではないかという一瞬おとずれる感覚のむこうに、はじめて、ほんとうの闘争がはじまっている。
いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。
私たちは、バリケードから、全ての人間たちの真の姿を見てしまった。そしてバリケードの影は、全ての人間の時間と空間をおおいつくしている。この上、何を怖れることがあろうか。
一九六九年八月 < >にて
■ 註(eili252氏による)
# eili252 『白の模造紙に黒マジックで書かれ、神戸大教養部掲示板に貼られた。前日8月7日、機動隊による封鎖解除の動きに対し、全関西から神戸大に結集した全共闘は学内から運び出したロッカー、机などを用いて六甲登山口にバリケードを構築した。複数の大学の学生26名が逮捕、22名が起訴されている。
70年1月「試行29号」、70年10月「神戸大学教養部広報30号」に転載。』(2006/01/19 15:10)
■ 落書き
概念集の一項目から「落書き」を引用する。
落書き
表現過程自体を表現する行為。私の場合の原初性を振り返ると六九年のバリケード感覚からである。八月八日の朝から神戸大学の封鎖解除が機動隊の警備下で予想されたので、私だけが前夜からバリケードに存在して、明け方に、人間の気配はないが、ある切迫した何かの息づかいに満ちている構内を歩きまわり、生命体としての空間に〈最後の〉あいさつをした。壁や天井や床には、墨汁やペンキなどで、さまざまな闘争スローガンが記されていたはずであるが、殆ど記憶にない。むしろ、関心は、どこから機動隊が入って来るかということであった。逮捕は勿論ありうるとして、六ヵ月のバリケードで出現したテーマは不滅であるし、そのことを一人でも公然と破壊者に示し、物理的以上のバリケードの開始宣言をしようと考えていた。持続的に自主講座をおこなってきたB一〇九教室で、たたみ位の大きさの白い紙にマジック・インキで〈バリケード的表現〉と題する文章を数枚書き、黒板に一枚を糊ではり、ドアを出て、自分の足音だけが響く暗い広場を横断して、反対側にある掲示板(ここに六ヵ月前に、初めてのマジック表現である〈情況への発言〉をはり出し、その後もずっと実質的に専用の掲示板として使用してきた。)に一枚をピンで留めてから、一箇所だけ灯のともっている最上階のA四三〇研究室にもどり、ドアの外側に最後の一枚をセロテープではった。窓から六甲山系に視線を投げると、宇宙遺跡でもある巨岩=油コブシに暁の最初の光が届き始め、しばらくしてUFOならぬヘリコプターが何機も飛来し、バリケードの上を執拗に旋回して下の様子を窺い始めた。
実は、これ以後の記憶はない、というか、退去命令を聞いた記憶~聞きうる位置に存在したという記憶がないのである。法廷でも、そのようにのべている。反証もなされていない。記憶にあるのは、太陽が高くなった頃、ドアの外で紙を破る音がしたことである。出てみると、〈バリケード的表現〉が引き裂いて捨てられていた。すぐに新しい、内容の異なる表現を作成してドアにはり、中で寝ころんでいる時に、また破る音がしたので出てみると、同じように捨てられている。人影はない。建物全体は解除作業の騒音で満ちているのだが…。このような経過が繰り返された後、遂に私はドアそのものにマジック・インキで表現を記したのである。これは物理的解除によっては解除され得ないバリケード総体へ記した表現であり、その後の、B一〇九前広場への巨大な白ペンキによる〈 〉表現(これ以降、〈 〉広場と呼ばれ、現在も痕跡を確認できる。)や、教室黒板への表現(そのうち「く」の字形一二個、という呼び方で起訴され、判決では「〈 〉型六対」とやや正確に表現し直されている〈〈〈〈〈〈 〉〉〉〉〉〉や、処分発表~立ち入り禁止通告後の研究室再占拠闘争に出現し、起訴対象とされた「六甲空間は世界を包囲する」などの開始符であった。 (ただし、法廷では私ではなく、〈私〉の表現とのべている。)
これらの、権力的には〈落書き〉と呼ばれる表現こそ、〈私〉が最も愛着を抱き、その接線方向へ、どこまでも固執する表現過程であり、概念集の試みも、その応用である。
(概念集1・36)